長野県軽井沢町の

 

 

「熊野皇大神社」

 

 

 

熊野皇大神社

3ヶ月毎に変わるしなの木御朱印です。3月~5月のしなの木御朱印です。

 

 

 

熊野皇大神社御朱印

5月は登り鯉が印されている御朱印です。

 

 

 

熊野皇大神社御朱印

 

 

 

由緒記や古事記、日本書紀によると創建は景行天皇40年(西暦110年)10月。約1900年前にさかのぼります。

 

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が碓氷峠を通りかかると先が見えぬほどの深い霧に覆われました。

 

その時、梛(ナギ)の葉を落としながら先導する一羽の八咫烏(ヤタガラス)に遭遇。後をついて行くと無事に登頂できたと言い伝えられています。
 

その昔、先祖の神武天皇を熊野国(和歌山)から大和国(奈良)へと導いたのも八咫烏だったことから、日本武尊は今回の登頂も熊野神霊の御加護によるものと心より感謝し、熊野三社を祀ったと伝えられています。

 

また、碓氷峠から旅立つ際は光り輝く蛇が道案内をし、無事に下山を見届けたあと、蛇は龍になり、天へ帰っていったという伝説も残っています。
 

熊野皇大神社は多くの武将にも崇敬されていました。

 

鎌倉幕府を開いた源頼朝は、浅間に狩りに訪れた際、長雨に悩まされ当神社で晴天祈願をしました。

 

感謝をした源頼朝は狩りで使う上矢(鏑矢)を奉納したと伝えられています。
 

また新田義貞は崇敬の念が篤く、東は上州新堀村鳥居坂(現 松井田町)から西は信州佐久郡鳥井原村(現 町内鳥井原地区)まで神領として寄進し、両端に大鳥居を立てたほどでした。

 

真田幸村も初陣で碓氷峠を通りかかった折、 当神社で必勝を祈願したと伝えられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しなの木

樹齢1000年以上のご神木です。

 

このご神木が信濃(現在の長野県)の国名の語源となったと云われています。(諸説あり)

 

「結ぶ・くくる・しばる」という意味で、古来より開運・縁結びのご神木として信仰されてきました。

 

今も軽井沢のパワースポットのひとつとして参拝者の信仰を集めています。

 

しなの木の葉はハートの形をしており、7月頃に白く小さい花をたくさん咲かせます。

 

 

 

 

 

 


 

 

 

位置情報

長野県北佐久郡軽井沢町峠町1