東京都江東区猿江の

 

 

「猿江神社」

 

 

 

猿江神社御朱印

猿藤太の御朱印です。5月限定でお書きいただきました。

 

 

 

平安時代後期、源頼義・義家(八幡太郎義家)父子による奥州遠征(前九年の役)において、数々の奉勝を立てた家臣に『猿藤太』(さるのとうた)という武将がいました。


武勇の士と讃えられた人物でありましたが、此の地の入江で力尽きてしまいました。
 

これを知った地元の漁師達が手厚く葬り、当社の境内に塚を建て葬りました。
 

此に因んで猿藤太の「猿」と入江の「江」の字を取り結び「猿江」の社名になったと伝えられます。
 

神社としての正確な創立年代は不詳でありますが、康平年中(一〇五八)頃には近在の信仰を一身に集め、稲荷社として境内地五百余坪を有したといいます。
 

また江戸時代には、神仏混合の風潮により京都妙連寺の末寺妙寿寺の僧侶が別当職として奉仕し、寺の隆盛とともに其の名を知らしめたと云います。
 

亦 築七十余年を経ている、国内でも最古の部類に入るといわれる鉄筋コンクリート造りの御社殿は、旧社殿が関東大震災にて焼失後、昭和六年に宮内庁設計技官の設計により当時としてはとても珍しい頑丈優美な造りの神社として再建されました。
 

このため大東亜戦争の東京大空襲にて、近隣一帯(深川)が灰燼に帰した時も奇跡的に難を免れ、錦糸町の駅からは一面の焼け野原に建つ御社殿が望めたといいます。


昭和二十一年に伊勢大御神を合祀し、社名を猿江稲荷神社より改称してからも「猿江のお稲荷さん」として親しまれています。


一千年以上の歴史をもつとされる由緒深き神社であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置情報

東京都江東区猿江2-2-17