埼玉県さいたま市岩槻区の

 

 

「武蔵第六天神社」

 

 

 

武蔵第六天神社御朱印

月替わり御朱印です。

 

 

 

挟み紙

挟み紙も月替わりとなっています。

 

 

 

その昔、岩槻城下の繁栄を極めたる当時、江戸城の忌門寺として有名な華林山慈恩寺や、日光廟に往来した諸人は、 日光街道を曲げて現在の元荒川沿いを下って岩槻城外の第六天神社に奉拝したという記録が残されています。


また、戦国の世に、岩槻城主太田氏の将兵の信仰を得て、岩槻城下に暮らしをたてていた武士や町人や商人、 農村の人々が、この草深い祠に奉拝して霊宝を賜ったといわれています。
 

もっとも栄えたのは、光格天皇・仁光天皇の御代の頃、即ち文化・文政年間の頃で、現在の水舎にあるある水盤は、その当時に江戸講中より寄進され、 社殿前の階段は文化年間に着工(平成9年に改築)しました。

 

 又、現在飾り御輿として御輿殿に保存されている大御輿は天保9年戌歳4月に制作されたもので、当時の繁栄の様子が伺い知れます。


尚、当社の創建は第119代光格天皇の御代、天明2年6月15日の御鎮祭と伝えられており、明治40年6月28日、村社香取神社・無格社鳴雷神社・無格社厳島神社・無格社熊野神社を合祀し、 現在に至っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置情報

埼玉県さいたま市岩槻区大戸1752