埼玉県川口市の

 

 

「九重神社」

 

 

 

九重神社御朱印

5月限定の新緑の御神木御朱印・薫風の輝き

 

 

 

 

九重神社御朱印

新緑の御神木御朱印・滝登り

 

 

 

創建は、旧別当蜜蔵院の中興である第一六世法院栄尊が享保年間(一七一六 ~三六)に、武蔵国一の宮氷川神社(大宮氷川大社)の分霊を勧請したと伝えますが、定かではありません。


当時この一帯は、 正保 (一六四四~四八)の改に次いで元禄八年(一六九五)にも検地が行われ、既に村として大きく発展しつつありました。 そこで、より一層の村の発展と平安を願い、 国土開拓の神、作神として名高い氷川神が村鎮守として祀られたのでしょう。


江戸期の家数は化政期 (一八〇四~三〇)には九八軒で、 当時としてはかなり経済力を有していた地であります。
 

内陣には、本地仏として十一面観音像が祀られていたが、明治初年の神仏分離の後この観音像は現存しておりません。

 

明治六年四月に村社に列格しました。 明治四十年六月には合祀政策により、安行村内の三十二社が当社に合祀されました。そこで各大字の村社が九社合併したことにより、社号を氷川社から現在の九重神社に改めました。

 

当社は、地内第一の神社として老若男女の崇敬厚く、人々の心の拠り所となってき た。特に戦時中には式運長久と出征兵士の無事が祈られました。 

 

しかし、大東亜戦争後の混乱期、浮浪者の為に昭和二十三年には社殿焼失の憂き目に遭いましたが、 氏子一同の敬神 の念が結実して社殿が完成し、昭和二十六年十月十五日に竣工式を斎行しました。

 

境内には、樹齢五百年以上のスダジイの大木が二本あり、大きく枝を広げています。 川口市指定の保存樹木であり、 内一本は幹周りが六五メートルもあり、記録されるシイの大木では埼玉県下第一の規模であります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置情報

埼玉県川口市安行原2042