和歌山県和歌山市の

 

 

「恵運寺」

 

 

 

恵運寺御朱印

迫力ある達磨の御朱印です。片面の御朱印を見開き御朱印帳に並べる形でお書きいただきました。

 

 

 

 

恵運寺御朱印

1995年よりある御朱印だそうです。30年近くになるんですね。

 

 

 

恵運寺御朱印

 

 

 

挟み紙

 

 

 

アンブレラマーカー

 

 

 

開基は、元和5年(1619)頼宣公が紀伊に入封した時、三河国室城主山本図書正春も随従。

 

元和7年山本図書は祖父長昌のために堂宇を建立し、長昌院と号した。そして、頼宣公の要請により相模国鎌倉より紀州に入国した天厳玄達大和尚を開山者として、長昌院を広厳寺と改名しました。

 

更に寛政元年(1789)恵運寺と改名し現在に至っています。
 

観音菩薩像縁起をたどっていくと、約1200年前にさかのぼります。第52代嵯峨天皇の時(弘仁年間=810年頃)空海が刻んだ十一面観世音を模刻したものを、後に新田義貞(南朝の忠臣)が更に模倣して、小型の金仏を鋳造し自分の守り本尊としました。

 

そして時は経ち、山本図書正春がその観音像を得て、現在では恵運寺の菩薩像の胎内仏となっています。


恵運寺には、青面金剛童子を祀る盗難除けの庚申堂と、火除け地蔵尊を祀る地蔵堂があります。

 

この地蔵堂はもともと東長町にあったものを、地元から請われて明治5年に移された。そして昭和20年7月の大空襲の時、火除け地蔵の効験で寺は焼失を免れたのであります。

 

それ以来、一に盗難除け、二に火難除け、三に家内安全を庚申堂において祈祷し現在に至ります。

 

 

 

本堂

 

 

 

 

 

山門

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置情報

和歌山県和歌山市吹上3-1-66