三重県いなべ市の

 

 

「金井神社」

 

 

 

 

 

金井神社御朱印

毎月の素敵な月替わり・松竹梅です。

 

 

 

金井神社御朱印

1月の月替わり御朱印・めで鯛

 

 

 

 

本村指定の村社にして伝説に由れば、本社の創立は承久三辛巳年(一二二一)二月一一日の勧請に係りたるものなりと社殿の棟札に見えたり。而して承久の頃洪水飢饉等天災頻りに起り人民死する名多く、殆ど眠食に安ずること能わざりき。

 

依りて一郷金井・西方・大泉・東一色協議して、皇太神宮・豊受神宮に参拝し、五穀豊穣一郷安全を祈願し、両宮を合して一部の祈年社としてこの村に祀り奉る、金井神社是なり。

 

夫れより年々一郷中より総代一名宛、両宮へ参拝して、五穀豊穣と郷中安全を祈願し来りしが、永禄の兵火に罹りて地頭別当焼亡し、民家社殿社頭亦悉く焼亡し、為に其後貞享(一六八四~八八)の頃廃社となります。

 

然れども社地たることを失はざる為め毎年両度此地に於て山神社を祀りしが、寛永八年(一六三一)藩主松平越中守より松平下総守に引渡の際、該村差出帳に洩れたり。

 

然るに宝勝一一辛巳年(一七六一)旧幕府より神社収蔵の節古事古老の伝説とを考証して差出したり。其の時の検査役員は松平下総守の臣野瀬太郎左衛門・奥平惣左衛門、下役員は田中文兵衛・原喜惣八にして実地取調の上幕府徳川公へ上申せられ古社復興の許可ありて、神殿拝殿を修営し該村の氏神と定め、また、両宮へ代拝をも復興して舊の如くなし来りしが、中古に至り旧御師熊鶴三郎太夫に依頼して月参日参科を奉納して明治維新に及べり云々」とあります。

 

春日社は昔此地にあった真言宗永源寺の鎮守社であり、正応三年(二一九〇)霊験があり祭日を八月一八日と定めたといいます。金巌社は昔地頭の種村家の祈願社で、金巌という所にあった社を移したものであります。

 

 

 

花手水

 

 

 

 

社殿

 

 

 

 

装飾

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

位置情報

三重県いなべ市員弁町北金井911