長野県松本市の

 

 

「深志神社」

 

 

 

深志神社御朱印

毎月25日にいただける三階松の御朱印になります。

 

毎月25日は御祭神である菅原道真公のゆかりの日であり、そのことから御本社となる北野天満宮の御神紋である三階松を押印していただけます。

 

 

切り絵御朱印・天神様の御神牛

 

4月より頒布されている切り絵御朱印になります。

 

 

 

境内の神牛をモチーフとしています。

 

 

 

 

 

 

 

社伝によると、宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。

 

その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。

 

一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。

 

そののち、両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

 

 

 

社殿

 

幣殿を伴う拝殿は入母屋造極彩色銅版葺で、正面には伏見宮貞愛親王御親筆の社号額(明治30年)が掲げられています。
本体部は江戸中期の営繕とされ、時代と共に増改築されてきましたが、平成14年に本殿と同じくすべて改修されました。

 

 

本殿

両殿とも一間社流造極彩色銅版葺で、明治8年の建替。平成14年の菅公1100年御正忌大祭記念事業で、荘厳な本殿として全面的に改修されました。

 

 

菅原道真公 十一歳の御像

 

幼い菅原道真公が初めて漢詩を詠む場面です。

 

この像は、阿呼(菅公)が詩想を得た瞬間を捉えています。

 

 

 

7月は深志神社の例祭である天神祭も開催されます。

 

 

 

 

 

 

位置情報

長野県松本市深志3-7-43