
京都市中央区の世界遺産
「二条城」
二条城では現在限定の御城印を販売中。
二条城は1603年(慶長8年)、江戸幕府初代将軍徳川家康が、天皇の住む京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所とするため築城したものです。将軍不在時の二条城は、江戸から派遣された武士、二条在番によって守られていました。
3代将軍家光の時代、後水尾天皇行幸のために城内は大規模な改修が行われ、二の丸御殿にも狩野探幽の障壁画などが数多く加えられました。壮麗な城に、天皇を迎えることで、江戸幕府の支配が安定したものであることを世に知らしめたものです。
1867年(慶応3年)には15代将軍慶喜が二の丸御殿で「大政奉還」の意思を表明したことは日本史上あまりにも有名です。
二の丸御殿、二の丸庭園、唐門など、約400年の時を経た今も絢爛たる桃山文化の遺構を見ることができます。
1994年(平成6年)、ユネスコ世界遺産に登録された二条城は、徳川家の栄枯盛衰と日本の長い歴史を見つめてきた貴重な歴史遺産と言えます。
東大手門(重要文化財)
二条城の正門にあたり、現存の門は1662年(寛文2年)頃の建築と考えられています。築城当時は現在のように櫓門(2階建て)でしたが、寛永の二条城行幸時には天皇を2階から見下ろさないようにとの配慮から、一重の門に建て替えられたと言われています。
唐門
二の丸御殿の正門にあたり、切妻造、桧皮葺の四脚門でその屋根の前後に唐破風が付きます。
門には長寿を意味する「松竹梅に鶴」や、聖域を守護する「唐獅子」など、豪華絢爛な極彩色の彫刻を飾ります。2013年(平成25年)の修復工事によって、往時の姿によみがえりました。
東南隅櫓(重要文化財)
二条城の外堀の四隅は、見張り台としての隅櫓が建てられ、普段は武器庫として使われていました。1788年(天明8年)の大火で多くの櫓が焼失してしまい、今ではこの東南隅櫓と西南隅櫓の2つが残るのみです。
二の丸御殿(国宝)
東南から北西にかけて、遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院の6棟が雁行形に立ち並ぶ御殿です。部屋数33室、800畳余りもある内部は、代表的な「松鷹図」をはじめ、将軍の威厳を示す虎や豹、桜や四季折々の花を描いた狩野派の障壁画(模写画)で装飾されています。
二の丸庭園(特別名勝)
池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園です。1626年(寛永3年)の後水尾天皇行幸のために作事奉行・小堀遠州のもとで改修されました。二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から鑑賞できるように工夫されています。
天守閣跡
本丸の南西隅には、かつて伏見城から移された五重六階の天守閣がありましたが、1750年(寛延3年)に落雷により焼失しました。 その後は再建されることなく、現在は石垣だけが残されて、本丸御殿と本丸庭園、京都の街の景色を見渡すことができます。
位置情報
京都府京都市中央区二条城町541