狩るか、狩られるかだ。 | ワンダー・シャンティशान्तिः「 劣等感から生れた不自然な自己過信 」を卒業できない人達へ
$あなたの人生に衝撃と閃きをもたらす!

なんでもネットで手に入ると思ってる人がいるみたいですが、それは違うね、自分の手で触り、目で見て、鼻で嗅ぐ、それで獲物を狩る。

買い物とは何か?

ズバリ言いましょう!

それは、「 狩りだ 」

お金がまだ存在しない時代には人類はすべての神経を尖らせ、周囲の変化に敏感になり狩りをしていました。

敏感にならざる得なかった理由は簡単です。


現代の権力者の家畜みたいに何でも政治任せ、人任せ、習慣やくだらない宗教任せにウトウトボケボケしてたらあっという間に肉食系猛獣に襲われたり、崖から落ちたり、猛毒の食べ物を間違えて食したり、次々と死んで人類は滅亡していたんだろう。

大昔の人類は生きるために何を手にしたら良いのか、何を食べたら良いのか、生き抜くにはどうすればいいのかをいつも脳を使いながら生活をしていました。

自然と共存しながら生きる、これぞ進化だね。

現代は狩りの形は変わったけど、本質的なものは変わらない。

なのに、今の人類は?


権力者や身勝手で欲望の塊な輩から出される 餌(情報、教育、作られた常識)をそのまま鵜呑みにしたりする。

これは生きていると言えのでしょうか?

いえ、言えませんね

これは飼われていると言うのです!

疑似餌(情報など)を目の前に置くと、すぐに食らいつき呑み込んでしまう。

疑似餌で脳が小さい魚が引っ掛かるのはわかるけど、

現代では魚より大きな脳を持つ人間が引っ掛かるレベル・・・

人類は進化どころか退化してる。

疑似餌とういう名のテレビ、ブーム、宗教、スピリチュアル、自己啓発などに人々はいつまで釣られる気なんだろう?


中には釣られている(騙されている)ことに喜びを感じる者まで増えてきた。


人々はまだ気づいていない

生きる事と飼われる事との違いが。



クライシス心理カウンセラー 菊地 英司(XAN)