自責の念
親族は誰も私を責めない。
私のいないところでは分からない
ブロ友さま
みんな温かく優しい。
境遇は違えど大切な方と離れてしまった悲しみを経験しているからこそ、ありがたい言葉ばかりである。
私は、色々な境遇の方のブログを拝読することで、親族周りもみんな悲しみを抱えて様々な思いがあるんだと感じていた。
お子様を亡くされた方
親を亡くされた方
奥様さま(旦那さま)、パートナーを亡くされた方
その方々のブログから、
夫だった私だけが辛いわけじゃない
勘違いしては駄目と自分を戒めていた。
私より先を生きている方
私と同時期であろう方
私よりあとの方
一つ一つの言葉が素直に私の心に入ってくる。
誰も私を責めない
だから私は自分を責める
たまに他責の念で、あの頃、周りの親族がもっと、助けてくれていたら…
と的はずれな感覚になる。
私は未だに、これからも自責の念があるのに周りは平穏な生活に戻っているようにみえて…
私は、生き地獄の後悔、そして周りの親族は平穏に戻り私には平穏は訪れない。
苦しみは完全には消えず、少し和らぎまた後悔が足され苦しむ。
最近こんな言葉を見聞きした。
「遺族」とつく関係の人達は辛い。
それでも、一緒に生活していた家族はダントツ、毎日一緒にいたんだから。
そうだった…
他の方々のブログを拝読して親族や周りの辛さを理解しているつもりが、夫の私だけが辛い…
いつしか私の周りの親族は、平穏な生活に戻っていると勘違いしてしまっていた。
娘をなくした妻両親
姉をなくした妻姉妹
嫁をなくした私の両親
妻をなくした私
みんな、みんな辛いんだよね
それでも、あの頃の妻を救えるのは私だけだったはず
私にだけ、妻は素を出して喜怒哀楽があった。
自分を責めても何も変わらないし、
妻は帰ってこない。
ただ
妻が尊い命と引き換えに私の元から去った。
これが私に対する最大限の答えかもしれない。
私は私を責めるしかない。
虚しさ、無念さ、惨めさ、救えなかったあの頃をブログでさらけ出し、自分を責める
それでも私は自ら妻の元へ逝く勇気はない。
妻が感じたであろう、この腐った世の中への絶望
私は、ご飯を食べ、寝て、人と会話したまに笑いの仮面をかぶり、生きている。
まだまだ責めが足りないかもしれない。
ブロ友さんが以前、復讐屋がいれば雇いたいと綴られていて、とても共感した。
妻の心を壊した者、私には分からない
復讐屋がいれば、その人達を、この世から消して欲しい
でも、消されるのは私なのかもしれない
助けれなかった私に生きる資格はない
それでも、もう数年たてば、私は自分を少し赦しても良いのかな
少しずつ前に進み小さな幸せを重ねても良いのかな
その答えはもう妻からは聞けない
少しずつ自分を赦しても良いかな
でも少し前に進んで、躓いたり大切なことが壊されたら、たぶん私はまた暗闇に戻る。
私の心はいつだって深い暗闇にいる
そう思えば少し気持ちが楽かもしれない
少しずつ自分を赦してあげたい
もうこれ以上、自分の心を傷つけるのはやめたい
今を生きなければならない
今を生きていたい
生きてもいいですか