月命日 | 最愛の妻へ。あの頃に戻りたい

月命日

上旬に叔父のお通夜に参列した。

幼少の頃から可愛がってもらい、家族ぐるみで旅行や長期休みには泊まりに来てくれたりして楽しい思い出ばかり。


読経後の、法話
「人はおぎゃ-と生まれた日から寿命が決まっている。それは誰も知ることは出来ないが、決まっている」と


私の妻も決まっていたのかな…
私が救えなかっただけか

私はあとどのくらい生きられるのだろうか。


お通夜には親族らが参列していた
みんなに見送られる叔父

私の妻の最期の見送りは、お互いの両親、弟夫婦、妹夫婦、妻の叔父夫婦のごく一部の近親者のみであった

コロナ禍だったから?
そうじゃない

最期の見送りすら満足にしてあげられなかった。
照れ屋の妻だったから、ごく一部で良かったのかな…

何が正解かは分からない。
人の死を見聞きするたびに、私は妻を救えなかったんだよね、と自責の念ばかり

妻を失った直後の奈落の底にいた私に手を差しのべて、気にかけてくれた方々
ブログの世界のみなさまにも助けていただいている


私は今を生きている
ブログで毒づいたり(普段から?)、調子に乗っているけど、今ある現状を大切に失わないようにしなきゃ( >д<)、;'.・



先日の月命日、いつもの花屋へ


「今日は何かお好みありますか?」


「桜ありますか?」

いつもは明るい色でお任せにするが桜を要望してみた


「ちょうど早咲きの桜を入荷したので、それにあわせた色合いでお作りしますね」



とても良い感じ



数日後、花が咲き始めた