髪の毛カットしてサッパリ感のGACKTさま
G「髪切ったんだよ、だいぶ坊ちゃんみたいになったけど」
し「何故アシンメトリーなの?」
G「多分ね、毎日右脳を使ったえってぃばっかりしてるから」
し「どんな?」
G「相手のシキュウに外から指を当てて『いけー』って念じてるから」
昔、波動が使えるって人を紹介されたというお話をされました
食事をして、飲みに西麻布のラウンジへ、そこにはGACKTさま以外はその先生を信じてる人たちが居たそうです
集まった経営者のうちの1人が、
経「先生は波動でイかせることもできるんですよね」
先「できるよ、私ぐらいになると外から波動を送ると熱くなって、女の子は2分も経たずにいく」
女「えーーー」
経「お前たち本当にいくんだぜ」
どんなオチが待ってるのかと見ていたGACKTさま
先「太ももをさすると熱を感じるでしょ、波動はこれに近いものなんですよ」
それから波動を送った、体には触らずおへその下辺りに
先「熱くなってきた、熱くなってきた、もうそろそろいくぞ」
女「えっ いく
」
先「もういくぞ、いくぞ」
女の子は、周りの経営者を見回して、私はどうリアクションを取るのが正解なのか、めちゃめちゃ求めてた
先「もうやめよう、これ以上やるとシキュウが可笑しくなる」
G「嘘つけーーー」
大声でツッコミ入れたGACKTさまでした
今日は大阪から配信のGACKTさま
ゲストは「これからレギュラーになる予感がする」と言われた、2度目の登場Kayaさん
ですが、登場する度に落ちてしまうkayaさん
この後連続して落ちてしまいます
し「今日のお友達、どうして呼んだの?」
K「GACKTさんとお喋りしてほしいなと思ってお呼びしました」
G「お喋りが良いのか、おしゃぶりが良いのか、どっち?」
K「それは私とお願いします」
お友達ゲストは坂東彦三郎さんです
スワローズのユニフォームを着て登場、お好きで歌舞伎役者で野球チームやってるそうです
kayaさんがなかなか戻って来ないので、3人で乾杯です
G「初めまして、そして観てるみんなもかんぱぁ〜い」
kayaさん戻り そして落ちた
彦三郎さんとのお話メインですが、こちらも音が悪いです
し「歌舞伎の世界は想像がつかないんですけど」
彦「僕は4つから舞台に出てます、7代くらい前までウチは直血で続いてます」
G「坂東家で歌舞伎から離れている人は居るんですか?」
彦「坂東家ではいないですけど、サラリーマンやってる子とか、歌舞伎じゃない舞台に出てる子も、子役の時は出てても勉強の方に進む人もいます」
G「伝統的で世襲制で、生まれた時から絶対にこうならなければいけないと教えられたりするんですか?」
彦「父はしてこなかったです」
し「自分でやろうと?」
彦「学校に行きたくなかったので始める感じで役者になりました」
し「逃げ道の1つ?」
彦「大人の人と絡んでて先輩が教えてくれる、楽屋にいることが楽しかったので」
し「それからずっと」
彦「40年ですよ」
G「すごいなぁ、縦が厳しいイメージがあるんですけど」
彦「縦も厳しいけど、歌舞伎界としてファミリーなので、そこまでブラックなことは無いです、口が悪かったりはしますけど、暴力は全然無いし、同じ経験をして来ているので、20代・30代それぞれの悩みは先輩たちが知っているので、刺激をくださるのでイラッとは来るんですけど上手くみなさん回るようにしてます、ライバルでもあり仲間でもあるので、潰し合いは(無いです)」
G「こいつ嫌な歌舞伎役者だなって居ます?」
彦「居ます居ます、名前は言えないですけど」
し「一緒に板の上に居て、やり難いなって?」
彦「感覚の問題なんですけど、歌舞伎は演出家がいないので主役の人が演出をするんです、決まった作品の中の主役が向いてる方向に向かないと良い芝居にならない、
でもひとつのお芝居をいろんな方がやるので、その方向が微妙にズレる、
合わないとお行儀が悪くなるので自分より主役に合わせるのが歌舞伎、
『合わせてねえな』と思うと嫌ですし、主役より出ちゃいけないし、自分が出るところでは居てもらわないと、出し引きの出来ない役者は嫌いです」
G「僕もそれは本当に嫌いで、この男(しんのすさん)はすぐ前に出るんですよ」
し「出てないじゃん」
G「こいつは勝手に自分がやりたいことやって、勝手に掻き乱して、勝手に『良いでしょ』みたいな顔するんですよこいつ」
G「1人でアドリブやってスベったら『今日のはなんかイマイチだったね』って、なんか1人で全部やってるからムカつく」
し「歌舞伎はアドリブないですよね」
彦「時事ネタを入れる作品もありますけど、無いです」
し「大向こうを待つんでしょ?」
彦「客席からの声がズレると、息が乱れるので、
お客さんが参加するのが歌舞伎なので」
G「今度からしんちゃんが出てくるときは拍手入れようか」
し「何の?」
G「しんちゃんが舞台に上がったら、関係なく全員が拍手するってルールにすれば良いんだよ」
し「舞台作ってから話ししてよ、今しなくて良いよ」
G「良いよもう舞台書くよ、でもしんちゃんが出て来たら袖に拍手って出るから」
し「GACKTさんの舞台に僕もちょっと参加してるんです」
G「ちょっとじゃねえだろ、メインのキャストだろ」
彦「GACKTさんの」
G「僕、自分で書いた本で2作品やってて、次3作品目になるんですけど、この人弁慶やってるんですよ」
彦「MOON SAGAですか? 義経秘伝、名古屋で観ました」
G「ええ? 嬉しいですね」
彦「隣の劇場に出てたので、金山の特殊陶業ホールですね」
G「その時思わなかったですか? こいつがヒッチャカメッチャカ勝手にやってるの」
彦「思わなかったです」
し「台本通りじゃん」
G「やってねえよ」
やっと戻れたkayaさん、ミリ単位で動きます
G「ちょっとずつ動いてる、昔のパリと中継している人みたいになってる」
K「すみませんお待たせしました、よろしくお願いします、かんぱーい」
し「2人はどのくらいの仲?」
K「よくお食事させて頂いてて、歌舞伎が大好きなので観に行かせていただいて」
G「プライベートはどんな格好で行くの」
K「歌舞伎は襟を正して行きますね」
G「しんちゃんそういうところは見習わなきゃ、何処行くにもアロハシャツとか失礼だよ」
し「これは正装」
G「それはハワイの人の正装だから、日本ではただのリゾートで遊んでる人だからね」
TPOの配慮無いのって嫌ですわ
し「彦三郎さんはkayaさんの方を観に行く?」
彦「はい、「 Schwarz Stein」も観に行ってたし、いろんなビジュアル系観に行ってたので」
G「へえーーーー」
彦「ビジュアル系集めてトークイベントもやってた」
G「マジですか」
次々と名前を挙げられました
- cali≠gari:村井 研次郎
- Versailles:KAMIJO
- MALICE MIZER:Közi
- THE DEAD P☆P STARS:KENZI
- NoGoD:団長
G「ええええーーーーー」
し「筋金入りのビジュアル好きじゃないですか」
彦「そこで育っちゃったので」
G「僕よりビジュアル系の人たちと深いですね」
彦「bastard /13-thirteen:仁-JiN-さんがよろしくって言ってました」
G「ええええーーーーー」
彦「多分、誰もわからないですよね」
G「仁とも繋がってるんですか?」
彦「はい、仁さんとは仲良くてご飯食べに行ったり色々」
G「え〜マジですかぁ? 21〜22歳くらいからの付き合いですよ」
彦「僕は10年くらいですかね、ちょこちょこ連絡取り合ってます」
G「僕、広島で一緒に喧嘩相手探してた思い出しか、あの頃広島すごくて、めちゃくちゃ面白かった」
彦「それはライブで行ってたんですか?」
G「そうです、13-thirteenは広島じゃないですか、合わせて帰って来てくれたりとかして、遊びに行ったり飲みに行ったり、
当時の広島は治安が悪くて、僕はMALICE MIZER時代一番楽しいのは何処かって聞かれたら、広島ですよ」
し「八丁なんとか周り?」
G「そう、ずーっとナンパしてる男の子と、ナンパ待ちの女の子ばっかりで、
当時、僕腰まで髪が長かったから車が来てナンパされた、
振り返ったら『マジかよー』って言われて」
し「そこらへん歩いちゃダメだよ」
G「思い出に残ってるのは、女の子が走って来て言われた一言が、インパクトありすぎて広島大好きになった、
『ねえねえねえお兄さん、3Pしよう』って言われた、
そんな風に女の子が逆ナンしてくることなんてない、
当時めちゃくちゃ楽しかった、すぐKamiに電話して『逆ナンされたけど来る?』って『行く行く』って」
し「GACKTさんと気づいて?」
G「気づいてない、広島はヤンキーばかりだから、僕みたいな神の長いのは珍しかったんじゃない?
仁さんもビジュアル系なんだけど、全身タトゥー入ってイケイケの『お前ら目が合ったらコロスぞ』みたいな特殊なビジュアル系で、ちょっと変わってる人」
し「そんな人とどういう繋がりなんですか?」
彦「覚えてないっす」
彦「誰かの紹介でbastard観に行ったんです」
kayaさんやっと戻りましたぁ
K「iPadにしてみました」
G「カメラの角度が完全に絵画だけどね」
G「kayaも交友関係広いって聞いてたけど、彦さんも広いですね」
彦「一時期、バンドマンと飲むのが勝手なブームになってて」
K「よく飲まれてましたよね」
彦「よく飲んでたよね、
僕は歌舞伎の仲間と飲むのが嫌いなんですよ」
G「それ、なんでですか?」
彦「飲んでる席で仕事場の上下関係が出るのが嫌で、仕事場でダメ出し出来るのに、酒の場で例えば女の子の前で説教されるわけですよ、それがすごい嫌で、『楽屋で怒ってくれれば良いのにな』って思う」
し「なおかつビジュアル系のサウンドも好きと」
彦「そうですね、ずっと通ってましたよ、それこそMALICE MIZERもGACKTさんの前のTETSUさんの頃観たことあります」
G「、マジでー」
彦「恐怖を覚えて『なんだろ、怖いなこの人たち』って思いました、鹿鳴館だったかな、いまだに行きます」
G「それ観てるって凄いなあ、ってことは27年前?」
彦「僕が高校に行く前、観てるのが楽しかった、Tシャツ&ジーンズで音出してる人たちが嘘くさく感じてたので、纏ってる人たちビジュアル系ばかり聴いてました、Xが最初でBY-SEXUALとか」
G「久しぶりにBY-SEXUALって聞いた」
K「懐かしい」
G「眉毛の細い人、ボールペンで書いたような眉毛の人ってイメージ」
彦「それひどい」
G「僕よりビジュアル系詳しいですよ、ビジュアル系の交友関係居ないんで」
し「それは彦さんのバージョンと同じですよね」
G「そうそう、だから僕は同業者と一緒に飲むのが嫌で、ビジュアル系と飲むとほとんどが僕の先輩で、当時僕は一番年下だったから、『一緒に飲む=完全に後輩を潰しにかかる』的なのがすごい嫌で」
彦「GACKTさん、◯パーティとか怖い時代ですよね」
(◯が聞き取れません)
G「そうです、ライブ潰しいっぱいあったし、数少ない自分の親友がライブ潰しにあってライブ中に暴れられて、その後会ったら前歯折られて全部無かったですからね、
あまりにも頭来て、『僕もやりに行く』って言ったら『やめてくれ』って、『こっちに来られるのもうやりたくない』って言われて、『なんて酷い世界なんだろう』と何回も思ってた、
僕も潰しにあったし、僕は『来るならコロシに行くよ』って性格なんであんまり気にしてなかったけど、
神経細いミュージシャンは辞めて田舎に帰った子達も少なくないですよね」
し「才能がありながらね」
G「でも僕が思うのは、音楽の才能があるからやっていけるのかって言うと、ビール瓶割って煽って向かって来る頭のおかしい先輩がいて、反発するのも、笑いでカバーするのも表現だし、
懐に入って可愛がられる人も居たし、上手にそういうのをすり抜ける人も居るわけじゃん」
し「その人によっての生き残る術というか」
G「そうそう、何が正しいかじゃなく、いかに自分を表現した上で生き残る術を全力で表現出来た人間が残っていって、
みんな美学が違うから、『ただ怖いからってヘイコラしやがって』『おべっか使いやがって』『必要ない頭下げやがって』とかばかにする人も居るんだけど、
僕はそうは思ってなくて、彼らは物凄く苦しい何かを生きて先輩とのバランスを生きて来てたから、
僕は大人になってSIAM SHADEの淳士と一緒にやるようになったときに、
僕は相手が光モンやビール瓶出して来たら『じゃあ刺し合おうか』ってタイプなんだけど、
淳士はとにかく「先輩後輩はこうあるべき」って上手に上手に生きて来た人で、
後から淳士に話を聞くと、淳士ってすっごい苦労して、先輩たちに無理難題言われた時もNOと言わずになんとかYESで答えられるように、すごい努力してたって言うのを聞いて、
そう考えると僕は、ただただ無茶して生きて来たことがなんか申し訳ないなって気持ちにまでなったし、
人それぞれ生き方は違えど、そこで全力で自分が選択したことをどこまで自分を表現しながらやっていけるかが大切なんじゃないのかなって、その時感じたかな、
謝ったもんね淳士に『なんかごめんね』って」
気持ちが動いた時に、素直に謝れる男って素敵
し「ビジュアル系の音楽もまだまだ栄えてる時代、群雄割拠だったんでしょうね」
K「うんうん、ですね」
G「やばかったよ本当に、YOSHIKIが現役で狂ってる時代だからね」
G「今は文化人みたいに扱われてるけど、かつてはビジュアル系の狂った兄ちゃんだからね」
G「しかも、そんなYOSHIKIがビジュアル系のトップで狂ってるのに、そのYOSHIKIがまともに見えるくらい周りが狂ってるから、本当にいい迷惑」
し「それがYOSHIKIさんの生き残る術だったのかも」
G「何なんだろうね、あの人の向こう見ずな感じって」
し「でもそれで周りが巻き込まれるんだもんね」
G「勢いとパワーはあるからさ、
人だけじゃなく、時代の流れも牽引できるだけのものがあの人にはあったから一時代を作れたと思うし、凄いよね、
日本人ドラマーでこれだけドラム売ったのは、YOSHIKIと石原裕次郎さんだけだからね」
し「まずは石原裕次郎さんですね」
G「石原裕次郎さんは役者じゃん、役者でドラムの見せ方が上手でドラムがめちゃくちゃ上手い、しかも歌ってたからね、歌ってカッコ良かったじゃん」
し「おいらが叩けば嵐を呼ぶぜ」
G「叩けば嵐を呼ぶぜって、完全にやばい人じゃん」
G「僕の姉が大好きで、何回もあのシーンを観て泣いてる姉さん見て『だいぶ狂ってるなこの人』って思ったもんね」
G「その後、YOSHIKIがあれだけドラムを売って、日本にドラムキッズが増えたのは、間違いなくYOSHIKIの貢献度だもんね、
しかもYOSHIKIはヴォーカルじゃないからね、ヴォーカルじゃない人がバンドの顔になったのは、多分僕の記憶ではYOSHIKIといかりや長介さんだよね」
し「そうだねえ」
G「そう考えたら、そういう牽引力って必要なんだよ絶対」
し「そこに行った人は、今残ってらっしゃるわけですから」
G「いや〜YOSHIKIは残ったけど、YOSHIKIの周りにいた人はみんな消えたけどね、やっぱりしょうがないよそれは、
芸能界は年間500組デビュー、5年後に残ってるの1組だもんね、10年後にさらに残るのが、10分の1以下でしょ、
消えて行くのが普通で、残って行くのが奇跡みたいなもの」
K「厳しい」
し「kayaさんは今の雰囲気になったのはいつから?」
K「私がビジュアル系始めたのが23年前、97年から結構長くやってて、はじめはコテコテROCKな感じで、20歳くらいで美輪明宏さんに影響受けまして、その影響を取り入れたらこんな感じになりました」
G「若い頃に写真とかヤバイ綺麗だもんね、僕あんなに綺麗な男性見たこと無いよ」
K「あの方は日本一ですね確実に」
G「あの時代にあんな綺麗ってヤバイと思うなあ」
K「名だたる文豪が美輪さんにメロメロになってしまったいうのが残っているくらいなので」
し「そういう方々に後押しされてこの世界に入った」
K「そうですね、いろんな方に『君はステージに立ちなさい』って言われたと」
G「美輪さんの言葉で印象が強かったのは、ある人が昔の写真を見て『こんなに綺麗だったらモテてしょうがなかったでしょうね』って聞いたら、
『本当に美しいってのは、本当に苦しいことなのよ』って言ってたのを聞いて、深いなあ〜って思った」
K「美輪様じゃないと言えない台詞ですね」
G「多分ね相当苦労してると思うよ、いろんな意味で」
し「美しさは罪なんですかね」
G「要は、周りが色んなこと勝手に言うじゃん、
性差別も、偏見の目、嫉妬も多かっただろうし」
K「妬みと嫉妬は凄いでしょうね、あれだけ綺麗だったら」
G「『美しいだけで罪』ってあの人のためにある言葉だと思うな」
し「それこそ若い時代はトランスジェンダーなんか無い時代で」
K「それこそ『バケモノー』って石を投げられたって、自伝に書いてらっしゃいましたね、本当に戦って来た方なので」
し「そこからシンパシーを受けて」
K「はい、あと昭和の歌姫たちが大好きなので、ちあきなおみさん、山口百恵さん、中森明菜さんとかの影響も多分に入っております、大好き昭和」
彦「僕も好きです」
し「昭和といえば筒美京平さんがね、僕でも曲は口ずさめるし、体に染み込んでる、潜在的に入り込めるメロディとか作り続けた人なのかなと思って」
G「小室さんみたいなプロデューサー時代じゃなかったから日本の中では知らない人が多いと思うけど、あの時代に筒美さんが表に出てプロデューサー時代を作れたら、間違いなく一線に立ってた人だよね、裏方に徹してた人だから」
し「その潔さもいいですね、昭和の大部分の音を彩った人」
K「そうですねえ、名曲ばっかりですからね」
G「昨日クリニックでVIO脱毛受けてたら、歌謡曲のゆっくりなピアノBGMが流れてて、classの「夏の日の1993」いい曲だな〜って思って、玉置浩二さんの曲も流れてて、『この時代の音楽って死ぬほどメロディいいよなあ』って、一回聞いただけで残る、すごいパワーだよなって思う」
し「あの時代は懐かしいですね」
K「名曲が多いですね」
G「中国、台湾、韓国、マレーシアで年配の人たちに『日本人だれ知ってる』って言うと、大概アーティストは玉置浩二さんなんだよね、それくらい安全地帯の音楽ってアジア全域を魅了したしね、英語訳もなく日本語のままでね、よほどメロディが良かったってことだと思う」
し「俺初めて見たとき、気持ち悪いおじさんだったなぁ」
K「身もふたもない」
G「玉置さんに触れた感覚は、ビジュアル系に触れた時と同じだと思うよ、僕は玉置さんはビジュアル系の走りだと思うもんね、だってあのメイク可笑しいもん」
し「メイクはいいんだけど、玉置さんの年齢かな?おじさんが無理してメイクしてる感じだった」
G「ああ、でもあの人面白かったのは鋭さとダークさを出すためにあのメイクをして、元々タレ目なのにわざわざセロハンテープで吊り上げて歌ってたからね」
そうなんだあー
K「知らなかった」
G「だからいつも目がこうなってるんだよ」
G「それこそビジュアル系の走りって沢田研二さんと玉置浩二さん、メロディメーカーでカリスマだったから、
傾いてたのは間違いなく沢田研二さんだと思う、TVにパラシュート背負って出て来る人いないでしょ」
し「ウィスキー吹いたり、帽子上げ下げしたり、次の日子供達が真似してたもの」
G「人に真似されたくなるようなこと出来るって凄いよね、やっぱりそこなんだろうな、それだけカッコイイ人が今の時代少ない、あの時代はクリエイティブな時代だったから色んな表現する人達が居て、例えば中森明菜さん、僕大好きで、
あの時代にあの音程で歌う人がいない、低く歌って、めちゃくちゃ暗い歌歌うじゃない、『どんだけ病んでるんだよ』って歌歌うし、でもよくよくあれだけ病んだ歌歌えるって、心を病んでる人達の拠り所になったし救いになったからね」
K「仰るとおりでございます」
し「一時期、明菜ちゃん独走状態の時ありました」
K「80年代後半は素晴らしかったですね、大好きなんです」
ここでkayaさんが歌姫達トークを披露されました
G「明菜さんの暗い歌を暗い表情で歌って、いかにも私も病んでますって雰囲気たまんないけどなあ、あの陰なエネルギーがたまらない」
し「今でその雰囲気出せてる人は」
K「20年前ならCoccoさん、鬼塚ちひろさんとか」
G「鬼塚ちひろはちょと違う方向へ行っちゃったもんね」
K「最近帰って来ました」
G「帰って来たんだ」
し「あいみょんに感じる」
K「彼女暗いですよ」
G「へえ、聞いてみよ」
K「陰なバンドさん、歌詞が暗い人達最近増えましたからね」
G「歌詞は暗いけど、アプローチも暗いって人少なくない?」
K「ああ確かに」
G「玉置さんとか、明菜さんとか、異常に陰じゃない」
し「走りは中島みゆきさんじゃない、イントロなしの歌詞で『恨みます』から始まる人いない」
G「そう言われたら、確かにそうだね」
K「彦様は昭和どの辺がお好きなんですか?」
彦「僕ね、昭和の時代にTVをあんまり見てないんですよ」
し「憧れる人方は」
彦「父、祖父ですね、教えてくれるのが父や親族なので、骨格や考え方が似て教科書が一緒になるので、僕はそうでした」
し「歌舞伎の外に目が向き始めるのはいつ頃」
彦「小学生の頃は、友達のお父さんも白塗りしてるとずっと思ってた」
彦「ピアノを習いに行ってると聞くと、『なんのために行ってるんだろう』って思ってた、僕は鼓や太鼓、お花や踊りやったりしてたので、『歌舞伎に関係ない習い事してるこの子達は何なんだろう』ってずっと思ってた、
白粉が耳に残っているのを『気持ち悪い』って言われた時、歌舞伎じゃない世界が外にはあるんだって気づいた、
自分の世界が大事で面白かったので、表に感覚が向かなかったです」
G「例えばビジュアル系やってると、ビジュアル系のコミニュティの中で生きてしまうから、
バンドマンはこうじゃなきゃいけないとか、自分たちは普通だと思ってることが周りからはおかしなことだったりとかね、
当時ヒールが10cm、15cmが普通で、20cmヒール履いてる人いたからね、
僕、いま身長が178cmだけど、当時公称が182cmだった、
何故かって言うと、MALICE MIZERのメンバーがみんな20cmヒール履いて身長190cm位になる、僕が15cm位を履いてみんな身長を合わせるんだよ、
みんながプロフに身長を176cm、178cmって嘘書いて、
『なんで僕より低いのに僕と同じ身長を書くんだ』って言ったら、『お前が身長増やせ』って言われたからね」
G「僕がこの身長の流れを乱すなって、だから当時182cmって書く羽目になったけど、実際は『そんなにねーよ』って」
し「あの時代は当たり前だった」
G「僕らの場合は、リーダーに身長合わせたらみんな高くなっただけの話なんだけどね」
し「MALICE MIZERの時年齢は?」
G「MALICの時は、僕が一番年下だったから公表しなかったんだよ、公表すると問題起きるから、若いのにイキリやがってみたいになるのが嫌だったから、
ソロにデビューしてからは、何でそう思ったか分かんないけどもとりあえず『450歳からスタートしよう』って思って」
G「その時も芸能界の先輩がいっぱい居たから、その人達に年齢聞かれて色々あるから、とりあえず450歳って言っとこうって」
彦「僕ら芸能人だと思ってないので、役者っていうジャンルなので」
し「でも最近歌舞伎役者の方って、色んなドラマに出ますよね」
彦「日本映画の創成期は歌舞伎役者が作ってるので、昔から皆さん出てらっしゃるので」
K「彦様もこの間出てらっしゃいましたよね」
彦「出てました、ハンバーガー食べてました」
し「逆に新鮮?」
彦「映像と舞台とは演技の幅が全然違うので、画面に収まる演技と3階まで届ける演技は声の出し方も全然違うので、映像の世界はまだ違和感があります」
G「彦さんは映像の世界は好きじゃないんですか?」
彦「元々祖父が『出るな』と言ってたんです、3年前に襲名した時に『表の仕事もして良いんじゃないか』って言われたので出るようになったんですけど」
G「へえ〜」
彦「歌舞伎は覚えた台詞を何日間も使えるじゃないですか、映像の世界は覚えた台詞その場で終わりじゃないですか、まだ学べてないのでどうして行くのかなって思います」
G「それ、ドラマあるあるですよね」
彦「ちょっとダメだったかなと思っても、OKって言われちゃうとOKになっちゃうんで、
あとストーリーを追って撮らないし、舞台だと前から行くので段々格好作っていけるんですけど」
G「その切り替えって考えてみたら凄いですよね、いきなりラストシーンからとか、いきなり初対面でラブシーンからとか、最初に『なんだこの狂った世界は』って思いました、今でこそ切り替えできるようになりましたけど、特殊ですよね」
G「しんちゃんは映像が最初なんでしょ?」
し「そうそう」
G「しんちゃん映像子役からやってるもんね、そんなおっさんの顔してるけど」
し「やかましいわ、もうおっさんじゃ、みたいじゃないおっさんじゃ」
G「そのおっさんの顔だったんでしょ?」
し「うん、そのまんまね、もっとやかましいわ」
G「いくつからやってんの?」
し「3歳から」
G「3歳からその顔だったんだあ」
し「怒りたいけど、昔の映像見るとあんまり変わんない」
G「映画も舞台もドラマもやってるじゃん、どれが向いてると思うの?」
し「全部好き、ドラマのその場で終わってしまう刹那も、ご一緒した舞台で毎回ブラッシュアップしていく苦しさと楽しさ、俯瞰で自分の舞台を見ているのも好きだし、その余裕が無い一瞬で終わっちゃうのをどこまでやれるのか考えてやるのも楽しい」
G「上手に表現出来ないけど、コントや漫才を練り込んでネタを作って、そのネタを何回もテンポ良くやるのが舞台に似てて、TVの番組にポンと出て、2人ですっごい面白いことをアドリブでやるのがドラマの演技に似てて、
どっちも良いとこあるしシンドイ、結局どっちも表現力を試されてる」
G「音楽もライヴでツアー回るのが舞台に似てるんだよね感覚が、同じ演目だけど昨日より今日より良いものをやりたいから、一生懸命考えて反省して毎回ブラッシュアップして第三者的に観てクリエイトしていく、フェスはTV撮影に似てて、自分のファンじゃない人の所にポンと飛び出して『わあー』ってやって帰るっていう、この感じが」
し「ある意味やり逃げに近い」
G「とりあえずやれるだけのことはやった、みたいな、それがまた楽しんだよ」
し「氣志團万博、懐かしいですね」
G「あれはね、僕らがやったことは失礼だと思う」
K「何やったんですか?」
G「あれこそやり逃げ、盛り上げるだけ盛り上げて、この後は知らないって言って逃げて帰って行くっていう」
G「またプライベートで飲みましょう」
彦「仁さんと飲みましょう」
G「来年はバーベキューパーティーとか来てください、kayaはビキニで来てもらって」
K「かしこまりましたあ」
し「あれやってもらおう、海の上ブーって」
G「ホバーボートね」
K「ご一緒に」
G「今日はありがとうございました」
彦、K「ありがとうございました」