3.11 2時46分 あれから1年が過ぎました。

あの日、あの時間、皆さんは、何処で誰と何をしていましたか。


僕は、あの時間は、会社の事務所の中で、普通に仕事をしていました。

最初に小さな揺れを感じた時に直ぐ家で一人でいる嫁に電話を掛けました。

嫁は、人一倍地震が嫌いなので、普段から小さな揺れでも、連絡を取っていた

ので。


その時も、普通に『大丈夫だよ』という会話をしていました。

しかし、地震は、収まる事無くドンドンと大きくなっていきます。

電話の向こうの嫁も、パニック状態で『どうしよう、どうしよう』と言っていました。

そこで『慌てないで、外の駐車場に出なさい』と告げました。

嫁が『外に出たよ』と言ったのを最後に電話がプツッと切れてしまいました。

その後は、何回掛け直しても繋がる事はありませんでした。


その直後にやって来た、余震で、会社の周りが一気に液状化になり、道路や会社

の敷地内の至る所から、水と土砂が溢れ出してきました。

それと同時に、事務所も傾いてしまいました。


テレビを点けると、あの津波の映像が流れていて、夢なのか現実なのかさえ解ら

ずに、一体この先どうなってしまうんだろうとさえ思いました。


あれから1年、浦安はまだまだ傷跡が残っている物の、間違い無く復興が進んで

います。


しかし、東北3県は、昨日の各テレビ局の特番を見ていても、まだまだ手が着けら

れてさえいない感じです。

それに加えて、原子力発電所の問題も、全然収束する目処もたっていません。


これから先の日本の為に、今、何が出来るんでしょう?何をするべきなんでしょう?