人とは「節穴」の集合体である。


耳も目も全くの「節穴」


だからこそ、「見逃す」し「聞き逃す」。


これは意識して行う事は意外と難しくコツがいる。


しかし、無意識の中で行う所にエフェクティヴがある。




もし、無意識の内に凝り固まったモノがありすぎると


目の前に転がる玉にも気付かないだろう。


欲すればこそ見つけられるかもしれないが、


意識し過ぎて不信感などが手伝い拾う事ができないかもしれない。



無意識のうちに欲し、


無意識のうちに備わる事の大切さ・・・。



だから面白い。



意識しての節穴は最後まで演じきる必要を科せられ、


方向転換には大義名分をもってシナリオを書く必要がある。



自らの節穴をかいくぐり、


巡り合ってしまった玉には従った方が良い。



目の前の「石」が「玉」に見えている内は巡り合えない。


そんな自然の法則に逆らう場合、


自然の法則によって淘汰される運命であろう。



「石」と「玉」の見極めができた人のみが集う事が許される。



拙が考える事は多分何万人も考えているであろう。


その何万人の数パーセントが集まれば市場は得られる。



それも勇まなくて良い市場が・・・。




それでも自由だからね。



つまりは何でも良い。


あくまでも拙の感想。



ようは落とし所の話。




またね。