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「EXPLOSION RECORDS COMPILATION ~new beginning」が2012.7.18リリース されました。
このアルバムは全曲北海道のアーティスト、プロデューサーで制作されている「道産子」コンピレーションです。
なのでこれを機に愛すべき北海道のレゲエについて自分のわかる範囲で自分なりに書きます。
今から10年前高校生だった自分は札幌でバンド活動をしててPUNK BANDやHARD COREとかのギターをやったりしていた。当時の周りの先輩や仲間の影響によりSUBLIME,LONG BEACH DUB ALL STARSとかのREGGAE mixtureにどっぷりはまり出した時期でもあった。
そしてその先輩達が「DANCEHALL REGGAE BANDでREGGAE DEEJAYのSHOW」をやるとのことで興味本位で地元のライブハウスに遊びに行った。
当時はDANCEHALL REGGAEのことを全然知らなかったし、REGGAE DEEJAYのSHOWも見たことが無かった。そんな自分にはDANCEHALL自体が超刺激的だったし、新鮮だった。
そこでDANCEAHALLの持つRUDE感、自由度に一気にやられた。。。気がした
当時演奏していたDANCEHALL BAND「TRYBAL」は現在札幌で活躍しているJAPONICA BANDの前身となったBANDでそこでBASSをPLAYしていたのが札幌で「上ちゃん」という愛称で知られるBASSIE UEDAであります。
REGGAE DANCEHALLにはまりかけていた自分はその日をきっかけに上ちゃんに弟子入り?することになる。
丁度高校卒業間近くらいで進路を決めるのに大切な時期だったんだけど、そんなことよりもREGGAE BANDの練習に行ったり、クラブにつれてってもらうのが刺激的で夢中になってた。
そしてそこで札幌のDANCEHALLシーンの先輩方とLINKしてくことになっていった。
当時はDANCEHALL REGGAE高度経済成長期?でぶっちゃけ今よりCULBに人もいたし、適度な緊張感も漂っていた。
そこで観客を沸かしていたDEEJAYやSOUNDがMAD KOH,KOHKI, KEISIであったり、DJ NOB,INTERCEPTERであります。
そこから彼等と数々のライブをこなしたりいろいろなイベントに出たりした。
当時自分は一番年下だしスキル的にも皆追いついてなくてずいぶんと迷惑をかけてたw
同時期に上ちゃんの提案で一週間に一度「BANDでひたすらRUB A DUB」という企画が始まった。
2時間ノンストップでRUB A DUBは当たり前で時々3時間以上とかもやってた。
噂を聞きつけた若手道産子DEEJAYがどんどんスタジオに来るようになってきた。
そしてそこで登場してきたのがRAMHEAD[当時はRUMHEAD]
当時の奴のイケイケ具合、曲のヤバさに喰らわされた。
周りが年上ばかりだったのもあり、なにより同世代の登場は嬉しかった記憶がある。
一気にRAMHEADとの交流は深くなっていった。
RAMHEADの故郷の小樽という街は札幌よりも少々RAGGAな気質の人が多くDANCEHALLにフィットしている街だと自分は思う。
RAMHEADはジャマイカ人の様に小樽CREWを連れてSTUDIOに来て俺らに仲間を沢山紹介してくれた。
その中の一人が「オスミツキノヒダリ」ことLEF-T。
初回のスタジオの時から皆LEF-TのDEEJAY STYLEの世界観に持ってかれてた。
そしてさらにJAPONICA BANDと小樽CREWの絆は深まり、
「M.I.C GUIDANCE」とうDANCEを小樽CREWが企画することになる。
「M.I.C GUIDANCE」はJAPONICA BANDで小樽のDEEJAYがSHOWをするDANCEで
毎回ハンパ無い盛り上がりを見せていつも満員御礼だった。
その時くらいから生意気にも「俺らで日本のREGGAE変えてやる!!」って気持ちが出て来たと思う。
同時期に上ちゃんが床屋を開業して、店舗の一部をVOICE RECを行えるスタジオにしてくれた。
自分はそこで毎日の様に朝までRIDDIM作ったり曲作ったりDUB録ったりをした。
8月15日発売されるLEF-TのCDにも収録される「チャレンジャー」の曲の原型はそのスタジオで奴と一番最初に作った曲でもある。
そんなこんなで「自分達の音楽の音源」を作り出したのはそのころかも。
だけど当時地元の先輩方は全然見向きもしてくれなくて(爆)ふて腐れてたりしてたw
自分もダンスにも全然行かない時期が続いたりしてた。
だけど現状を打破したい思いは強まり、それぞれが海外修行に行ったり、横浜や大阪へ移住したりを始めた。
自分もジャマイカに渡り音の修行をすることを決意した。
最初は半年で帰って札幌でまたレゲエをやるつもりだったけど、ジャマイカの魅力にやられたのと、ガイダンス的な出会い(PANCHO&JAMAICAN CREWとの出会い、CHOZEN LEEとの出会い....これは今また度書きます)が続いてジャマイカに住みレゲエをやってくことを決めた。
札幌のことも当然気にかけていたけど、ジャマイカで目の前で起きることがヤバ過ぎで夢中で必死になってた。
これは自分の個人的な考えなのだけど、「シーンの為に頑張る」って言葉が嫌いだ。
「自分や仲間の為に頑張ればシーンの為にもなる」ってのが自分の考え。
道産子アーティストが皆そう思ってるかどうかはわからないけど皆それぞれの目の前のことを必死にやっていた。
そしてそんな動きをPAPA-BやDJ NOBが見てくれていたのだと思う。
2009年に一時帰国した時にBONさん「RIDDIM聴いたよ。今度一緒に何かやってみよう!」と言われた時は本当に嬉しかった。
そして俺はジャマイカに帰りBRAND NEW WAY RIDDIMを制作した。
そのRIDDIMをDJ NOBプロデュースの元、北海道アーティストのみONE WAY ALUBUMにしようというアイディアが出た。
北海道のDANCEHALL REGGAEは気候やHIP HOPシーンとの友好関係の影響で独自のVIBESが出ていると思う。歌心が良いdeejayが多いのだ。
皆そんな道産子フレイヴァーを全快に詰め込んだbig tuneをガンガンのせてきた。
素直に興奮した。
そして2010年夏BRAND NEW WAYがONE WAY ALBUMでリリースされその年のEXPLOSION(札幌のBIG DANCE!残念ながら今年は無し)のステージで披露されることになった。
しかもPAPA-Bが大トを勤めるステージに呼び込まれマイクリレーしていくという前代未聞の試みだった。
正直どうなるかなと思ったけど、皆最高のパーフォーマンスをしてた。
その瞬間やっと「道産子レゲエ」が生まれたと思う。
まさにnew beginning なんてね
そこからPAPA-Bと自分達の絆も深まりさらに良いVIBESで音楽を制作し始めた。
そんな曲達が収録されているのが今回のコンピレーションでこざいます。
そそうそう北海道のレゲエまだまだ始まったばかりなんです。
「道産子レゲエ」ご賞味あれ!!!