アスペの次男。小学生の頃 | がっちゃんのブログ

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イタグレがっちゃんとの日々を綴りたいと思います。

こんにちは。
前回の続きでアスペの次男の様子を紹介します。

小学生低学年の頃は、県名、県庁所在地、人口、パズルの地図で覚えて楽しんでました。
手の握力が弱く、字が思うように書けなかったのと、書き順をいくら教えても覚える事ができなかったです。
性格はおとなしく、独り言が多く、歩いている時も笑いながら歩いてました。
手先が不器用、運動も苦手でした。
クラスの女の子が、体操服を上手くたためない次男のお世話をしてくれたようです。
食べもの好き嫌いがかなりあります。
あっ、人の好き嫌いあります。とても敏感です。鈍感なようで敏感。 鈍感敏感と呼んでますビックリマーク
野菜は食べない、豆腐には醤油をかけない。シンプルな味付けはいいが、凝った料理は食べません。
給食が食べれなくて地獄だったと言ってました。
ポテトフライは大好物。
電車大好き。
3年の頃からお勉強に遅れが出てきて
担任に相談するが、「まだ勉強の出来ない子はいるので大丈夫です」と訳のわからない返事…。
4年生の頃になると、マイペースの次男はますます集団生活について行けなくなり、いじめも重なり不登校になってしまいました。
学校の先生に相談してもダメだったので、長男が通ってる塾の先生に相談したところ、「僕に預けてもらえませんか」とビックリマーク
どうやら、発達障害を勉強されてたようだったので塾に行かせることにしました。
3カ月後に塾の先生から呼び出され、10数枚の資料を渡され、そこではじめてアスペルガー症候群を知りました。
「僕は専門家ではないが、もしかしたら
、アスペルガーでは」と言われました。
その後、大学病院でアスペルガー症候群の診断を受けました。
学校の先生はおとなしく、人に迷惑をかけてもないので問題ないと言ってたが、塾の先生は次男の苦手な部分をしっかり理解して判断して頂き本当に感謝してます。
ドクターからは、「この子は特別支援学級での指導が必要」と助言もあり、学校に伝えると、帰ってきた校長の言葉が、
「自分の子供を障害者のクラスに入れて欲しいなんて言う親はいないし、人に迷惑かけてないのにどこがおかしいのか」と…。
当時、まだアスペルガー症候群、軽度発達障害が認知されていない時代、バタバタ動き授業に支障がある多動だけ支援がありました。
ドクターも、学校の先生のレベルを知っているので、支援クラスを作ってもらえるように動いて頂きました。当時母子家庭の私に、「学校にお願いに行く時には、おじいさんでもいいから、男性でネクタイ、スーツを着て行くように…。女性が行っても聞いてくれないから」とアドバイスを受けました。
そうなんです、田舎は本当にそうなんです。

私は一人で学校と交渉しましたが、結局は
アスペは支援クラスに入れないが、特別に作るが、良くなったらすぐに普通クラスに戻すと言われました。
勤務先のホテルで同僚の叔父さんが校長先生と知り合いだったらしく、ある日お客さんでやってきて、「あんたは、学校に文句を言ってるらしいな、校長先生が困ってる、文句を言うな」と突然言われました。
田舎の学校は個人情報なんて関係ない、
私文句言ってないし…
本当にたくさん悔し涙を流しました。
あんなに笑顔でニコニコを笑う次男から
笑顔が消えて行くのが嫌で、
こんな田舎は無理と思い、郡部から市へ転校する事にしました。
転校先では次男は支援が必要と判断。
小5からは支援学級で授業を受ける事ができました。
転校からの2年間は、楽しい学校生活を過ごすことができました。
当時、ポルン王国と言う絵を毎日書いてました。
好きな電車を書き、色々な登場人物が出てくる物語に没頭してました。
時々、ポルン王国と現実が一緒になって話すのですごく心配しドクターに相談すると、つらい現実から逃避するためにしてる行動なのでそのままそっと見守って下さいとアドバイスされました。

中学でも支援学級でした。
1年の夏休み前から、やはりいじめで学校に行けなくなってしまいました。
学校に行ったとしても、交流学級の授業には参加できず、支援学級の先生が授業を見れない時は、教頭先生と一緒にグランド整備したり、草取りしたりして過ごしました。
これでは学力がますます下がる一方…。
中学2年の時、学園もののテレビを見ている時に「俺には友達が欲しいのになぜ出来ないんだろう…」とポツリと言った時に、やはり普通の人と違う事を一番自分がよく知っているし、悩んで苦しんでいるのがわかったので、きちんとアスペルガー症候群で人とのコミュニケーションが苦手だったり、不器用な所があると伝えました。
それと同時に、病院を脳神経小児科から、
島根県安来市の精神科に変更しました。
主治医はとても優しい先生で、臨床心理士のカウンセリングを受けるようにすすめられました。

週1回のカウンセリングで、知らない人にはなかなか話をしない次男。まずは先生、場所に慣れることから始まりました。
回数をかせねるうちに慣れてきて、色々と話すようになったようです。
病院には行くが、学級には行けない日が続きました。
高校の進路を決める時に担任から、漢字のレベルは小4くらいですと言われました。わかっていたが唖然…。
私学で入れる高校はあるので大丈夫と…。
確かに入れるけど、これだけ学校行けてないのに高校になったら急に行けるのかはてなマーク
できれば、養護学校を希望すると伝えると、校長がIQ の検査、診断書が必要と言われたので提出すると、すぐにIQ100あるので無理ですの返事、最初からIQ 100あるの知ってるのに何のために提出させたか理解出来ない。
主治医から発達障害で心を病んで、引きこもりになって自殺の道を選ぶ人が非常に多いです。の言葉が頭に浮かび、これ以上理解ない県にいる必要はない、県外で探そうと決意ビックリマーク幸い、転職して出張がある仕事だったので大阪、神戸のフリースクール見学をしました。がしかし、フリーはフリーだなぁ~もう少しないかなぁ~と探した所、神戸市の新設の支援学校にたどり着き訪問。事情を説明したところ、受験可能ですとお返事を頂きました。
中学では、わざわざ支援学校に入れる必要はないと言われましたが、高校の卒業資格が欲しいのではなく、楽しい学校生活を過ごせる環境、適切な教育を受けさせたいと言って聞く耳を持たなかった私…。
神戸の学校に行ってもどうなるかわからないのに、なんとかこの子を再生してみせるんだという、訳のわからない自信はありましたねガーン
不安いっぱいでの引越でしたが、高校生活は次男にとって、とても大切な3年間になりました。
入学して6月にすぐに運動会がありました。中学では運動会、全校集会、学習発表会、自分の卒業式にさえ出てません。たった2カ月しか経ってないのに、運動会に笑顔で参加しているんですよ!!
もう、信じられなくってね…。
涙もろい私は嬉し涙で応援どころでない状態になってましたニコニコ
あれ~さらに長々と書いてしまいました。
読んで頂いた方、ありがとうございます。
きっと何かしら、アスペに関わっている方が読んでくださってるのかな!?

アスペでも、一般社会でたくさん活躍されている方もいらっしゃいます。
次男はストレスをうまく処理出来る心を持ち合わせていませんでした。
引越をしてからも安来の病院には年数回通ってます。
悩みを相談できる相手、理解あるドクターは持つべきと思ってます。
きっと同じ悩みを持つ方、親御さんもいらっしゃると思い、なにかしらの参考になればと思いブログを始めました。


私の夢音譜ラブラブ

軽度発達障害の方と一緒に働ける職場、作業所の設立。

みんなが気軽に集まって相談できるコミュニティー欲しいなぁ~ビックリマーク
食も大切だからカフェがあり。
カルチャースクールあり
ヨガ、写真教室の先生はもう見つかってるのビックリマーク
あっドテラのエッセンシャルオイルで次男がすごく変化があったんで、アロマクラスにセラピールームも確保だねニコニコ
当時者の方、親御さん、支援されてる方に
ぜひ、気軽にセラピーを受けて頂きたい合格

あと、少しでも生きやすくなってもらうことを願って発達支援コーチで学んだ統合エクササイズも受けて頂きたいですラブラブ

すごい妄想してますが、楽しい妄想が
脳の扁桃核を快にしてくれるので、入ってくる情報も目標に必要な情報が入ってくるのと、同じ考えの支援したい方に出会えるのがすごいですね音譜ラブラブアップ
まだまだ続く妄想ですクラッカー