住民に対するインセンティブの見つけ方は
住民に有利となる策をさぐることで
ヒントが得られることもありますが

プロジェクトを進める側の人間に対するインセンティブは、
おなじ方法ですぐに見つかるわけではない、という今の感想です。


もともと意識が高く、
自分の役目を全うすることで地域に貢献したいという思いを持っている人であれば
色々な可能性があります。


最初はそういう思いをこちらが感じられなくても、
話をしたり、様子を観察したり、
一緒にいる時間を増やすことでそういう思いの断片が見えてくることもあったりで、
きっかけさえあればそれを引き出すようなお手伝いもできると思う。
何人かの同僚に対して、そういう感覚を持っています。


ただ、やはり必ずしもそういうインセンティブが当てはまらない場合もある。


日本の感覚と違うのは、やはり生活の厳しさ。
生活がある程度保障されていれば、仕事を「自己実現のため」
「社会に貢献したいため」というインセンティブで取り組むことができる。

しかし、自分や家族を養うのに余裕がない、
子供の学用品代が、葬儀の費用が、親類縁者からの援助のお願いが、
決して安くない食費が・・・など、出費がかさむ場合、
「お金のために」仕事をするというのが当たり前に第一目的となる。
そして人間は合理的に行動をするので、
できるだけ労力をかけずにお金を得るのが
もっとも利口であるかもしれない。



日本人はどうしてそんなに真面目に働けるのか、と問われることが
あります。


日本人も人それぞれだけれど、
「社会(組織)の中で自分の役割を全うして、貢献することが名誉とされる社会だから」
とか答えることもあります。


自分が頑張って、後からまわりに評価されれば嬉しい、というのは当たり前の感覚かと
思いきや、上のように答えて「へえー!」と驚かれることがあって
価値観の違いを改めて感じる。




上の質問の答えは色々あるだろうけれど、

もともと日本人は農耕民族で、農業というのはたったひとりでできるものでもない、
ムラの中で協働作業をしていた文化だった、
言い換えると協働作業に参加しなければムラの中から疎外されうる環境だった、


「恥」の文化があって、自分だけ怠けたりすることは周囲に対して
「恥じ入る」文化であった。人の目を気にする。


とかもあるでしょうか。


ちなみにこのガボンはもともと狩猟民族なので、
その日、自分や家族のために必要なものを得てくる、という文化。
農耕民族とは考えの違いもあるかもしれません。
(気のせいかもしれませんが、決断力があるというか、話し合いのときに
あれやこれや紆余曲折せず、
ものごとをスパスパ決めるのはこういう血のせいでは・・・と勝手な想像もしてみたり。)


昔は、自分や身の回りで助け合って生きていけばよかったけれど、
親族・民族を超えて地域がひろがり
県単位に行政区がわかれて、
9つの州ができあがり、
40以上の民族を有するひとつの国となる。

その国を機能させるためにもともとの文化にはなかった西洋式の型による
行政が行われるようになって、うまく適合するところ、適合しないところが
でてきていると考えることもできるかもしれない。


背景を思い巡らすと色々考えてしまうけれど
ともあれ私は個人的に日本人の、
「責任を持って仕事をする」、という
Idée(考え)はAppréciable(価値がある)ことだと思っているので、

インセンティブを探しつつも、
一緒に仕事をしたり、生活したりする中でこういう姿勢を見てもらって
何か感じとってもらったり、

伝えたいときは伝えねば、と思うわけです。