人が行動するときは
そのひとが価値をおくものによって動く。


ものごとを進めるときに
例えばあるプロジェクトを進めるとすると、
プロジェクトに関わるひとたちに
どういうインセンティブを持たせるか
ということはとても重要なことであると思います。


インセンティブ、
デジタル大辞泉によると
1 やる気を起こさせるような刺激
2 値引き、奨励金
3 成果を社員や販売店に通常の給料や手数料に
  特別に支給する報奨金。ものや旅行のこともある。販売奨励金。

とあります。


自分がここで言いたいのは1。


例えば、任国でひとを集めてセミナーを開催する場合、
参加者に手当を与えたり、飲み物・食物を用意する慣習があります。

手当は、参加者がこのセミナーのために自分の仕事をおいて
移動費をかけてきているから
その時間分の手当が必要だ、という理屈がひとつあるようです。


日本だと勉強したければお金を出してでも
セミナーに参加することもあり、主催者が参加者にお金を支払うのは
違和感があると思いますが、

援助機関や、国の機関が主催する場合、
あるプロジェクトの成果を短期的にでも出すためには、
セミナーの参加者数の実績も重要となるので
参加者を集めるためにお金(見返り)を払ってでも集まってもらう
という構図もできあがる可能性があります。


また、既にこういう仕組みができあがっている場合、
参加者も、手当や何らかの見返りがなければセミナーには参加しない、
という思考回路ができあがる、
という影響も考えられます。


とあるプロジェクトの内容が半強制的にでも市民に浸透させるべきものだったり、
ある仕組みを普及するためにその関係者を強制的に呼びたい場合は
こういった手法も有効に使うべきかもしれませんが、

産業のひとつである農業を振興する場合、
事情は違うと自分は考えます。


農業とは生計に関わることなので、セミナーで農業を推進し、
最終的に参加者がその内容を実行するかは、
個々の自己判断に委ねられます。
すすめられたものを参加者が自分でやってみて失敗して、
損失がでたとしても、セミナー開催者は必ずしも責任をとってくれるわけではありません。


またあるひとの状況、環境にとってはよい結果をもたらすものでも、
別のひとにとっては悪影響をもたらす可能性もゼロではありません。


それだけ、セミナー後にちゃんと自分で判断して動けるか、が
大事になるのです。


そういう可能性を考えると、
農業振興を目的にひとをあつめてセミナーを行う場合に、
内容を現地の実態に沿ったものに吟味することはもちろん前提ですが、

手当をかざして参加者を集めるということは、
本当に意欲のある参加者を逃す可能性があり、
長期的にみてセミナー効果を少なからず減らす作用をしているように思えてしまいます。


身の回りで起こったこと↓

国際機関からの支援により、住民に果樹を植えてもらって、
果樹栽培面積を増やすというプロジェクト。
このために開かれた果樹セミナーで、参加者には手当が支払われた。

ただ、手当を第一目的に来ている参加者は真剣にその果樹を植えることを
検討していたわけではないので、セミナーに参加したことで
目的を達成し、実際には植えなかった。
(すべての参加者ではありません)



私の配属先は予算が豊富になく
活動中に野菜栽培セミナーを開きたい場合でもそのための予算が
あるわけではありません。


ただ予算がないからといって活動できないわけではないので、
何とか手当や見返りのものなしに開催していました。


その時々によりますが、学生に対するセミナーは
「バカンス中に野菜を作って売ったら、新学期の学用品も
自分で稼げるよ。乾季に高い野菜を買わなくても済むよ。
VOLONTAIRE(志願者)として自ら学びたいひとが来て下さい」と
強調して説明して募集をかけたり、


別の件で住民向けにミニセミナーを開いたときは
同僚がひとを集めてくれていましたが、
「セミナー」と銘打つとお金やものを期待するひとがいるから、
「いつ、どこにこういうひとたちがきて、
 野菜の作り方とか教えてくれるみたいよ
 ここらへんの市場は野菜あんまりないでしょ。
 自分で作ったら食べられるし、高く売れるよ」と言って回ったらしいです。


また別の県では、参加者と主催の呼びかけるひととの人間関係ができあがっていて、
「こういうの学んでみたい」という思いがあって、
なおかつ「この人に誘われたから」というプラスの理由もあって
来てくれていたのかなという印象がありました。


相手方に「自分に有益である」ことを伝えて
そういう学べる機会があるのなら行ってみようかな
とやる気を起こさせるのが第一ではないかと思うのですが、
これは果たして理想論でしょうか・・・