2002年の広告より。


新社会人おめでとう。

今春、君はどんな職場にたったのだろうか。そこがどんな職場であれ、君は、元気に、堂々と、そこに立って欲しい。だって、元気以外に、君が今できることは他にないんだ。

学業が良くなかったって?そんなことはたいしたことじゃない。エリートだけが動かす社会が、いかに非人間的で、愚かなものか皆わかりはじめたんだ。

社会は生存競争の場所じゃないんだ。学校とも、試験とも違う。百の仕事には、百の答えがあるんだ。何かがすぐできるほど社会の仕事は簡単じゃないんだ。

これから先、十年、二十年・・・・かかって、仕事の真の価値は何か?を発見して行くんだ。

私は、どんな仕事にも、大小かかわらず、心棒があると思っている。その心棒で動く歯車が誰かをゆたかにするために回っているんだ。自分だけのためでなく、汗を、気力をしぼるから、本物の仕事は、美しいんだ。


心棒を動かすには、エネルギーがいる。エネルギーの根源は、働く人、一人一人の胸にある情熱だ。

どんなものに対しても、いつも熱い人が仕事の肝心を掴めるんだ。


君、熱い人であれ。


叱られても、怒鳴られても、吐息を零されても、そんなもの跳ね返し、心棒を回す人になって欲しい。

元気すぎるようなら、夕暮れ、酒場のカウンターで、熱いこころに少し氷を入れて、グラスを挙げればいい。


伊集院静



エネルギー、心と体、若いうちに苦労していろんなものを吸収したい。

毎年、成人の日の広告より。 (2008年)


平然と生きる人であれ。


新成人おめでとう。
君は今日、どこで、何をしながら、成人の日を迎えただろうか?
祝福される人もいれば、一人でいる人もいるだろう。
成人を祝うなんて古い習慣と思うかもしれないが、そうじゃない。
世の中には二十歳を迎えられなかった若者が大勢いる。
ほとんどの人は無事に生涯を送ることができない。それが私たちの生だ。
生きていることがどんなに素晴らしいか、若い時にはわからない。
私も当り前に思っていた。
だが君はいつか生きている意味を思い知る日がくる。ただその意味
を知るために私たちは生きているんじゃない。もっと大切なことがある。
それは、人間は己以外の、誰かの、何かのために懸命に生き抜くことだ。
『人のためだけに?そんなの変だよ・・・・・・』 変じゃないんだ。
今、日本の大人たちがなすすべての醜さは、それができていないからだ。
そうすれば君に見えてくる。
世の中が、人間の生が、いかに哀しみであふれていることが・・・・・・。
それらの哀しみを平然と受けとめ、どんな時にも、君は、そこに、スクッと立っている人であって欲しい。
そのためには心身を鍛錬しておくことだ。頭ばかりが動いてはダメだ。
ひとつしかないこころと身体を強くするのだ。こころと身体で汗をかけ。
その汗は、今日から飲める一杯を格別に美味しくするぞ。


強いを目指す君に乾杯。

伊集院静


こころと体で汗をかけ。

自分の課題でもあるなあ。

相撲の世界では、心・技・体が必要であり、バランスが重要であるらしい。

毎年、成人の日と4月の入社式の日に載る伊集院さんの広告は、自分を見つめなおすいい機会となっている。


二十歳の、君のポケットには何がありますか?
成人式の今日なら、「大人になんかになりたくない」という正直な主張があるかもしれない。「今日から大人と言われても......」と戸惑いが揺れているかも。「よくここまで生きて来られた......。嬉しい」と喜びの声が聞こえるポケットもあるかもしれない。
でも君、二十歳のポケットに、かんたんに、大人を入れないで欲しい。いや、「大人なんかになるな」と私は言いたい。君たちはもう二十年生きてきて、そのポケットには、夢が、希望が、好きな音楽が、ファッションが、好きな人の笑顔があるはずだ。そして悩みや、口惜しさや、ため息や、涙も、ちゃんとあるはずだ。実は、それが一番大切なものだ。それらのものを手離さずに、新しい大人になって欲しい。
テレビで戦争をドラマのように映し、隣人の不幸を他人事のように話している大人なんかになる必要はないんだ。
君は世界に一人しかいないんだ。その君の、ポケットにあるものこそが新しい世界の可能性だ。
私のポケットにも、二十歳の時代の何かが残っている。友人とそんな話を時々する。君のポケットの声を、私たちに酒場の隅で、少し聞かせてくれないか。新しい人と乾杯をしたいんだ。

伊集院 静

この前、大学の先輩と仲間とともに、とある山を登山した。

登山をしたといっても、3000メートルを超える、本格的な登山ではなく、1時間20分くらいのやまのぼり。

それでも、けっこうしんどかった。
頂上につき、下を見下ろしたら、今まで歩いてきたつらさが吹き飛んで、ホントに気持ちよく、心が軽くなった。

それから、1週間。

秋といえば、あの香り。金木犀。

会社までの、道にところどころにある。

風によって運ばれてくる甘い香り。

金木犀、ここにもあったんだ。この木も金木犀だったんだと。

そして、「どんだけー。」って(笑)

全然気づかなかったけど、時に気づくものってあるんだなと感じた。
人生も同じなのかな・・・。

ネットを見ていたら、金木犀の仲間で、銀木犀、柊木犀という種類のものもあるそうだ。

また、とある雑誌の中にあった言葉が今、自分が考えていること、そのものだった。

「どこにいても自分が正しいと思える絶対的な何かを探したい。」
最近、とてつもなく仕事のことで悩んでいる。
いいことは、いいし、悪いことは、やっぱり悪い。

考えることが全てマイナス。それでは、ダメだとは頭では、わかっているし、でも・・・。

今は、心も体も疲れきってしまっていて、正直、今後が不安。

体調がすぐれず、休んでしまった。

いつも完璧を目指してしまう自分が嫌になる。自分の中のドアは、閉じたまま。

いろんな本や映画、雑誌、人の話を通して、実感したことがある。

それは、結局は、自分ということ。
これだけは、確かだと思った。
いつも、答えは、自分の外にあるものばかりだと思い、探していたけれど、違っていた。

答えは、自分の中にあるんだと。そう思った。


車に乗っているときに、聞いたスピッツとマイラバとアンジェラ・アキの歌で気分が少し軽くなった。

100点でなくても、今自分が持っている力の結果の10点、20点ならそれは、それで尊いものなんだろうなと思うようになってきた。

晴れの日もあれば、大雨や雪の日もある。
毎日、晴ればかりでも、大雨ばかりでも、空も疲れてしまうのかな。
時々風邪をひくのかな、なんて。

なんかミスチルの「CENTER OF UNIVERSE」歌にもあったっけ。
「悩んだ末にでた答えなら15点だとしても正しい。」
「全ては、ボクのとらえかた次第だ。」

最近、読んだ雑誌にあった言葉より、気になった言葉を残しておこう。

料理の味を決めるスパイスのように、大切なものは目に見えない。
以前に見たギリシャ映画「タッチ・オブ・スパイス」は、人生をスパイスにたとえた言葉が絶妙で、見ていてあたたかい気持ちになった。

久しぶりに早く寝よう。