こんにちは。日本の九州から駐在主夫の素です。
久しぶりにブログを書きますが、家族全員で3月末に、ブラジルのサンパウロから“一時帰国”しました。
フライト前日に、妻の勤務先から帰国の指示があり、家族全員で帰国することが決まりました。
いつサンパウロに戻れるか分からない上に時間がない中での荷造りだったので、もっていく荷物の取捨選択は悩みましたが、最終的にスーツケース2つと、リュックサック2つに収めました。
経験はないですが、まさに夜逃げをするかのようでした。
タイムリミットが迫る中、部屋の片づけ、冷蔵庫の中身の処理、もろもろの手続き、やらなきゃいけないことを考えだすと自分たちだけでは、むずかしいことは明らかでした。
今回も、近所に住む日系人の友人に本当に何から何まで助けてもらいました。
とりわけ、ポルトガル語の壁の高いミッション(部屋の大家さんとの交渉、インターネットの解約、水道の停止)など、友人と妻に滞りなく手続きを済ませてもらえたので、非常にありがたかったです。
今から振り返ると、ブラジルで急速に感染が拡大する直前だったのですが、各航空会社でフライトの便が次々とキャンセルになり、予約していた便が変更になったり、出発当日も本当に帰国できるのかどうかハラハラしました。
何とか帰国の便に搭乗し、ヒューストン経由で日本に到着した時はさすがに、ホッとしました。
当時は、ブラジルからの帰国者へのPCR検査は実施されていませんでしたが、移動中に感染しているかもしれないので自主隔離期間をとりました。
まず、東京で2週間、それから九州へ移動して2週間の自主隔離をしたのちに、妻の実家の方でお世話になることになりました。
こうして、しばらく、サンパウロでの生活から離れることになりました。
駐在の方が日本へ帰国する時に、駐在地へのリターンを意味する“一時”帰国か、それとも片道切符の“本”帰国なのか、使い分けていることを、サンパウロで駐在してから知りました。
はたして、私たちの帰国は、一時になるのか、それともこのまま本帰国になるのかわかりません。
しかしながら、サンパウロの生活を思いだして感じるのは、主夫として悪戦苦闘しながらも、いろいろな人たちに出会い助けてもらいながら、ゆたかな家族の時間を過ごせたことへの感謝です。
少し先の未来に、またブラジルへ訪れる日がくるように、願っています。