女性を健やかに導く
松浦 由貴です![ピンク薔薇](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/198.png)
![クローバー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/199.png)
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私は今でこそ
『由貴さんは幸せですね♪
羨ましいです。私なんて〇〇です
』
![えーん](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/018.png)
って言われますけど
私の人生35歳くらいまで
泥沼でした
よく今まで生きてこれたな
自殺していてもおかしくないくらいの苦悩の人生でした
私の人生
2歳の頃にほぼ決まってしまった
といっても過言ではありません
2歳で生きるか死ぬかの瀬戸際でした
種子島出身の私
夏の遊びといったら海水浴![波](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/304.png)
![浮き輪](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/303.png)
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父が海に連れて行ってくれた後
身体が冷えたのか
風邪を引いてしまいました
その風邪がどんどん悪化し
数日経っても熱が引きません
再度、病院に連れて行った時には
重度の肺炎になっていたそうです
島の病院では対応できず
鹿児島市内までプロペラ機で
運ばれました🏥
そこから長期の入院生活が始まります
父も母も島で仕事があり
私は鹿児島市内の病院に入院していたので
両親に会えない日々を過ごしました
私自身当時のことを覚えてはいないけど
強烈な寂しさを
細胞にまでたたみ込まれたのは
この入院生活にあったでしょう
弟は産まれたばかりのちのみごでしたから🍼両親の大変さは想像以上だったと思います
休みの日には、片道3時間半のフェリーに乗り、私に会いに来てくれました
それでも、ずっとそばにいてくれない両親
会えた喜びと帰って行く悲しさのギャップ
2歳児には耐え難い苦痛です
この時に
極度の寂しさ
我慢
心を閉ざすこと
感情を感じなくすること
を覚えました
感情を感じなくすることでしか
乗り越えられない試練でした
退院するまで
1ヶ月かかりました
この入院で
心にざっくりと傷を付けるだけでなく
実は身体の内部に重大な病気を
作り上げてしまったのです
元の病気=肺炎を治すために
新たな病気をはびこらせ
その後、原因不明の病気として30年も苦しむこととなったのです
それは
肺炎を治すために使われた薬
抗生物質が原因です
抗生物質を使わなかったら
2歳で死んでいた命だったかもしれません
命が救われたという点では
抗生物質には感謝しています
しかし
抗生物質によって作られた
医原病は私の身体をボロボロにしていったのも事実
大量の抗生物質を投与されたことは
私の運命
私の人生そのものです
抗生物質によって
ボロボロになった状態の身体から元気になり、ホメオパシーという形で
困っている人達に伝える
これこそ
私の天命です