試みにさつきの例を挙げて見よう。こゝに一人の若い母親がゐる。子供に乳をふくませながら、かう云つてゐる。――
「さ、早く、おつぱいを飲んで、ねんねして頂戴。そいでないと、母ちやんは、……どうするか知つてて……?」
さて、こんなつまらない独白めいた言葉から、実際、われわれが、何か魅力らしいものを感じたとしたら、どうだらう。その母親が美しい女性だからだと云ふものがあれば、私は、そればかりではないと答へる。若い母親としての優しさが、言葉の調子に表はれてゐるからだと云ふものがあれば、私はそれだけでもないと答へる。それなら、その言葉つきが極めて自然で、厭味がないからだと云ふのか。いや、そればかりでもない。声が朗らかで、歌のやうだからか。いや、いや、そればかりでもない。それならなんだ。私はかう答へるより外はない。――「さういふことがらをみんな含めた上で、なほ、その外に、その女は自分の言葉をもつてをり、そして、その言葉を自由に使つてゐるからだ。言ひ換へれば、いかにもその女に応しい言葉で、その女でなけ れば表せないやうなものを、最も適切な時機に、最もはつきり現はしてゐるからだ」。
