わたしの中には『イマジナリー【推し】』がいます。


・・・一応に濁しておきますがw

【推し】には個人名を入れましょう(笑)



それは、だれにも侵害されなくて、私だけの、あのひと。


そしてそれは、わたしだけじゃなくて、

誰の中にも『それぞれ』いる、その人だけの唯一の存在。


わたし、もしかしたら「同担拒否のケ」があるかもって感じた時があって。そうだったらなんだか切ないなって、ほんとにそうなの?って自問自答したとき、この『イマジナリー推し』の発想が解決の糸口になった。


自分の同担拒否疑惑の始まりは、そもそも、それぞれのなかのイマジナリー推しがいるのに、「あの人はそうじゃない、そんなことを考える人じゃない」って、真っ向から私の中の理解で存在しているあのひとを否定された時に、これは無理だ、となったのですよ。

で、他担さんならまだいい。

わたしだって、足りない理解で私の中のイマジナリー他メンの存在に基づいて他メンを語る失礼はおそらく、往々にしてあるから。


ただ、同担だからこそ。


応援歴のマウントは受け入れます。

そりゃ、私みたいなニワカには到底分かり得ない歴史があっての事だし。ただ、あの人の言葉の理解には、私なりの矜持があって、私なりに、短い時間なりに、受け止めてきた想いがある。それは、誰にも横取りさせない、ということ。それは、わたしが彼の言葉をどんな風にでも受け止める自由がある、ということ。


最近、あのひとの『言葉』を、

たくさん受け取ることが出来る機会がある。

・・・ね、あるよね。


で、わたしが気づいたのは、あのひとは、いつでも、

ファンのことを『あなた』として見てくれていた、ということ。

ファンのみんな、「all of them」ではなく

「(狭義の) you」として、見てくれていた、ということ。


あのひとのいう『あなた』は

私であり

彼を慕わしく思うひとりひとりの『あなた』である。



あのひとの『あなた』でいられる私たちは、幸せだとおもう。