漫才強化計画を経て、舞台で漫才を見せるための最低限の技術を身につけた僕とMは、
落研に入って2年目の夏から、落研の外に出始めた。
他大学のお笑いサークルや時にはプロ芸人が出場するお笑いライブ。
こうした活動を始めた理由はやはりM-1の時と一緒で、
学内のバイアスのかかったぬるい客から距離を置きたかったから。
特に漫才強化計画の成果とその後の経過を確かめながら漫才を成長させていくには、ヒラの舞台の反応を大事にしたかった。

手始めに出たのは、早稲田大学のpeepsというサークルが主催する「大学生お笑い日本一」(ちょっと違うかも)。
早稲田の寄席演芸研究会や法政のHOS、明治の木曜会など、当時の代表的な関東ね大学お笑いサークルから代表が出て、漫才やコントを客の投票で順位付けするというもの。

僕はこのライブのために、新作漫才を書き下ろした。
この漫才が、初めて僕とMのキャラクターと関係性を意識して台本に落とし込んだ漫才だった。
そしてこれらの要素は、漫才強化計画を含めMと落研で色々話す中で、自然と身に染み込んだものだった。
僕は体が大きいことと顔が老けていることから、乱暴な人間というイメージが落研でもMとの関係においても成立していた。
その乱暴な僕に対して、ブサイクのくせに生意気に反論してくるM、
そしてそれを屁理屈や暴力でねじふせる僕。
こういったキャラと関係性が1年半のMとの会話を通じて、パターンとして出来上がっていたのだ。

これに従って、僕が書いたのは縁日の漫才。
僕のキャラクターは乱暴さを際立たせるためにヤクザ的なキャラにデフォルメし、
ボケもヤクザ的なボケを意識的に入れた。

余談だが、漫才を始めた当初はお互いの関係性をつかむためにボケとツッコミをライブごとに入れ換えたりしていたが、
この頃には僕がボケ、Mがツッコミというスタイルが定着していた。
それは時間が経つにつれて上記のような関係性ができあがっていったためで、
Mの天然ボケを拾う上でもこの役割分担が最適だと考えた。

さて、ライブの結果はあまり良くはなかったが、こうしたライブには出場しているサークルのメンバーが客として来ていることが多く、投票の際に組織票が働くのだ。
それを考えると、まずまずの結果だった。
終わった後に初対面の法政HOSの人に褒めてもらったこともあり、大きな自信になった。