M-1グランプリ2004で1回戦落ちを喫した僕とMは、プロとの実力差やアドバンテージのないヒラの舞台でお笑いを見せることの難しさを実感した。
ここまではコントばかりを舞台でやってきたわけだが、M-1に落ちたことで漫才を頑張りたいという気持ちが強くなった。
この頃はまだ意識していなかったが、コンビ特有の味が出るのはコントよりも漫才だと僕は思っている。
コントにおける役というのは、言ってみれば台本ありきで作られたキャラクターである。
もちろん配役を決めるにあたっては役者・芸人の個性とマッチする役を与えていくのだが、
あくまでも台本の世界を表現するために役者がいる、というのがコントの作り方の基本だと思う。
コンビでコントをやる場合、役者がその二人に限定されてしまうというのがまず一つのネックになる。
必然的台本を書く際はに二人が演じることのできるキャラクターの中からストーリーをつむいでいくという作業になり、
よほど器用な2人でない限り、完全に自由な発想で台本を書くことは難しい。
そのため前述した集団コントライブのように、自由にやりたい台本を書いてから、役者のストックから適材適所で配役をするというスタイルが、コントを作る上では理想的だと僕は思う。
一方漫才はどうかというと、これはコンビ2人のキャラクター、そして2人の関係性が、何よりも見せるものとして前面に押し出されるべき芸だと考えている。
漫才というのは基本的には「おもしろい会話」と定義できる。
会話である以上、普段2人で話しているときのリズムや関係性が現れる。
それを意識して台本を書く場合もあるし、意識せずとも舞台上での漫才には現れてくるものだ。
漫才をする際には普段の会話を基本に、そのおもしろさを生かせる設定を考えて台本を作っていくのがセオリーだと思う。
コントよりも漫才の方が、2人の素のキャラクターをミックスさせることで無限に新しいものを生み出すことができる。
もちろん自分達のキャラクターを踏まえたコントをたくさん作ることのできる芸人はプロにはたくさんいる。
しかしそれは漫才よりもコントの方が自分達は得意だという自覚があるからであり、
お笑いで飯を食っていく以上、少しでも売れる可能性の高いものを優先して武器にしていくのは当然だ。
だが、アマチュアの場合は話は別である。
お笑いで生き残れないと人生にも生き残れないという世界ではない。
ここがアマチュア芸人の甘いところでもあり、だからこそチャレンジできることもあるとは思うのだが、
アマチュアがお笑いを楽しみながら趣味的に演じるという意味では、漫才の方がお互いの関係性自体をネタにできるという魅力が大きいと思う。もちろん好き嫌いはあると思うが。
とにかく、僕とMは今後のお笑い活動を漫才中心に行なっていくことに決めた。
僕はMとのコンビ漫才をブラッシュアップするために、1年間の強化計画を立てた。
それは春夏秋冬の各季節に1本ずつ漫才台本を書いて、その4半期間はそのネタだけを毎日練習するというものだった。
今思い返しても恥ずかしくなるような熱血企画だが、当時はそれが最善の方法だと信じていた。
ネタ自体がいくらおもしろくても、それを効果的に見せる舞台上でのテクニックは最低限必要である。
M-1での経験を通して、自分達はその最低限レベルの漫才技術が身に付いていないと思った。
そのため、最短距離で最低限の技術を習得する方法として、僕はこの計画を考えた。
実際にはこの計画は春の漫才台本が3月に完成してから2ヶ月ほど毎日練習した後、めんどくさくなってやめてしまうのだが(笑)、
その間に最低限の技術は習得できたし、結果的にいろいろな副産物が生まれ、コンビとして成長する大きなキッカケになったと今では思っている。