堕者の聖地 -13ページ目

堕者の聖地

今更ながら画力を上げようと努力してみる

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自画像up。
四本足のタコです。
宜しく。
2006年4月20日、誕生日を一週間後に控えたその日、叔父が他界しました。
享年52才。
妻と4人の子どもを遺して。

そもそも今年は母方の一族にとって大変な厄年でした。
4月13日、祖母の兄が寿命を全うしこの世を去りました。
住む地は遠く離れていましたが、それでも両親は通夜に出るため上京。
帰ってくるやいなや、叔父が倒れその日の内に心筋梗塞で亡くなります。
そして同日もう一人、さらに翌週もう一人……。
たった3週で、4人。
内三人は50代前半という母よりも若い年齢でした。

地元では通夜や葬式より先に、まず火葬をします。
あれ、酷いですよね。
5回も顔を見せられるの。
最後のお別れ何回あるんだよ。
私は身近な親族が死ぬのはこれが初めてで(祖父母の三人は産まれる前に死んでたし、残る一人はまだ生きてます)けど彼が死ぬのを見たわけでもなく、知らせを聞いて駆け付けた時には棺の中だったので、いまひとつ実感がありませんでした。
帰ってきたその日も、駅に迎えに来たのはまさしく電車内で気に掛けていた遺された兄弟の末娘、中学生の従姉妹の笑顔でした。
イタヅラっぽく笑う彼女に連れられて、父の車で叔父宅へ来てみれば、とても温かく迎えられて。
その日は遺された長女の馬鹿話で腹筋が痛くなるまで笑いました。

元気だった祖母。
病気をしてから小さくなったな、と思っていたのに、この日からもっと小さくなりました。

火葬される叔父を見送りながら私は、叔父が死んだのが悲しいのか、すっかり気落ちしてしまった祖母を見るのが辛いのか、初めて見る母の大泣きを見るのが辛いのか、遺された従兄弟達のこれからを考えるのが辛いのか、よくわからなかった。
思い出すのは良い思い出ばかり。
確に彼が嫌いだった筈なのに、初めて釣りをしたのは叔父に連れていって貰ったんだよな、とか、技工士の道具で拾った綺麗な石をピカピカに磨いて貰ったな、とか、私がホタテを好きになったキッカケも、彼が食べさせてくれた釣れたての磯辺焼きだったな、とか、そんなんばかり。

辛くて、悲しくて、哀しくて、……けど、私は学業のため、葬式には出ずに大学へと戻る事になりました。

正直、葬儀を終わらせる事の出来ないまま日常に戻った私は、彼の死から立ち直るのに3ヶ月かかりました。
好きな番組を見ても、友達と騒いでも、心は凪のように静かで。
昼間は笑顔を張り付けて、夜になると一息に落ち込むんです。
ほとぼりが冷めて、心理学で鬱を学びながら漸く、アレが鬱だったのだと気が付いた。

これを語るのは初めてです。
誰かを前にすると、今でもきっとまだ言えません。
それでも、書けるようになりました。
好きな事をすることが、楽しいと思えるようになりました。

心に詰まった悲しみは取れないれど、それでも、生きていける。
人間って強い。
源さんがブログを開設したとのことで、急遽登校しました。(自宅はオフライン)
そんな第一回目から、どこにツボるって「げん」だよね!
なんで、平仮名。
可愛いんだけど。
制作日記のnichiyou7ji-no-ossanにも笑ったけどこれはもう敵わないよ。
サインはGenじゃなかったのか。
可愛いから寧ろ推奨する。
ていうかお願いします。
そんな貴方が大好きです。