著明な本。

漫画バージョンを読んでみたが、

人がなぜ勉強しなければならないのか、ということに関して、

非常にシンプルにまとまっていた。

内容としては勧めようとは思わないが、

時折いい言葉がある。

 

「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)

(前略)

ただ、君に考えてもらわなければならないのは、ほんとうに人類の役に立ち、万人から尊敬されるだけの発見というものは、どんなものか、ということだ。

それは、ただ君が初めて知ったというだけではなく、君がそれを知ったということが、同時に、人類が初めてそれを知ったという意味を持つものでなくてはならないんだ。

人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものを持っている。だから、自分の経験を人に伝えることも出来るし、人の経験を聞いて知ることも出来る。その上に、文字というものを発見したから、書物を通じて、お互いの経験を伝えあうことも出来る。

そこで、色々な人の、色々な経験を比べあわすようになり、それを各方面からまとめ上げてゆくようになった。こうして、できるだけ広い経験を、それぞれの方面から矛盾のないようにまとめあげていったものが、学問というものなんだ。

だから、色々な学問は、人類の今までの経験をひとまとめにしたものと言っていい。そして、そういう経験を前の時代から受け継いで、その上で、また新しい経験を積んできたから、人類は野獣同様の状態から今日の状態まで、進歩してくることが出来たのだ。

一人一人の人間が、皆ないちいち猿同然のところから出直したんでは、人類はいつまでたっても猿同然で、決して今日の文明には達しなかっただろう。

だから僕たちは、出来るだけ学問を修めて、今までの人類の経験から教わらなければならないんだ。そうでないと、どんなに骨を折っても、そのかいがないことになる。骨を折る以上は、人類が今日まで進歩してきて、まだ解くことが出来ないでいる問題のために骨を折らなくては嘘だ。その上で何かを発見してこそ、その発見は、人類の発見という意味を持つことが出来る。また、そういう発見だけが、偉大な発見と言われることも出来るんだ。

これだけ言えば、もう君には、勉強の必要は、お説教しないでもわかってもらえると思う。偉大な発見がしたかったら、今の君は、何よりもまず、もりもり勉強して、今日の学問の頂点に上りきってしまう必要がある。

そして、その頂上で仕事をするんだ。

(後略)