これの続きなんだけれど
まぁ聞いてください。。。

私の人格形成
=生き方の選択のベースに影響したのは
間違いなく
母とちゃーりん(彼氏▶︎夫)です。



ママとのいちばん古い記憶は
弟が生まれた日の病院で
お見舞いにいって

ベッドの横にうどんが置いてあって
おなかが空いていたわけじゃないけど
その当時、うどんを吸うのが好きで笑、
勝手に食べ始めたら

『あっ、◯◯さん(母の名前)、
自分で食べなきゃダメだよ』

と出産を終えたばかりのママに気遣って
その場にいた女性の誰かに静止されたけど

『いいんだよ、食べな』
ってママが言ってくれて
弟への挨拶はそこそこに
うどんを吸い続けていた記憶。



その次に古いのが
朝起きた直後に怖い夢を見た〜って
ママのプーさんのパジャマに
抱きついていた記憶。



なので、
私はママに愛されている
ママは私に優しい
ママのことが好きである記憶でしかない。

し、私の精神も安定していた記憶しかない。



けれど、小学校の4年か5年のとき
私はそれ以降の人生も含めて
最も心がポキッといってしまった。


原因は、
父方の祖母と両親に問題があって
小学生の私は
すべてを知ることができなかったけれど
そこから父と母の喧嘩が絶えなくなり

何度か静止しようとして
とばっちりを食らったり
父も母も出て行ったら育ててくれる人が
いなくなるんじゃないかと思ったり

私がどんなに良い子でいても
願いは叶うことないし
早く守れるようにならなければ、と思っていた。


ママは感受性の高い女性で
けっこうヒステリックになることも多くて
(たぶん、生々しい感情を受け止めるのが
すごく苦手なんだと思うんだけど)

私がものすごく落ち込んでたら
『死にたかったら死んでみろ』と言うし

ポッキリ逝っていて表情管理が
できなくなったときには
(母が最も精神的に辛かったと思うが)
『なんなの⁉️なんなわけ⁉️』と
めちゃくちゃ詰められた。



だから、私の心の奥にはいつのまにか
すごく良い母親だけれど、
致命的な欠陥がある母親。と、
『ちゃんと向き合ってくれなかった』と
そうなじるような気持ちを持ち続けていた。


そして母を責めるだけの父を
私がそれ以上に責めてやりたい。

私に力があれば暴力で正してやりたい

とさえ、思っていたかもしれない。




そして中学3年のときに
ちゃーりんに出会い、重度の恋愛体質となる。


彼の機嫌がそのまま私の幸福度になり
どれほど優しくされるかが私の価値になり
とにかく彼が喜びそうなこと、
機嫌が良くなりそうなことを
手当たり次第にした。
(そう振舞ったほうが実は機嫌が悪くなる笑)

しかし尽くすからには見返りが欲しくて
それを感じられないと
たびたび爆発を起こして喧嘩したり

あるいは、わかって欲しくて
心情を生々しくやり取りするときに
『俺には抱えきれない』と

別れるかもしれない、となったとき
どんな我慢より否定よりも
その想像する喪失感に耐えきれなかった。


その穴に耐えられる気がしなかったのだ。


自分で決めているようで
すべては
『自分が勝手に思い込んでる彼基準』で決めて

そして無意識に
同じだけ自分を捧げてよ、と要求し
自分がどれだけ捧げるかを価値にしたように
彼の価値、この恋愛の価値を
どれだけ捧げてもらえるか、で
決めるようになる。

もちろん、
彼はそういう付き合い方をしてないので
私が満たされるような犠牲はなく
私がひとりでどんどん追い詰められて

優しそうな誰かの彼氏とくらべて
私にその魅力がないからなのか、と
無敵に可愛い子に産んでくれなかったママを
骨太で筋肉質なパパの遺伝子を
憎むような気持ちさえ芽生えてきていた。



それで、気づいてしまったんよね。

今こうして会社を辞めて1年くらい経つけど
私はずっと人のせいにしてたんだって。

それで自分の生き方を決めてたんだって。


内定を蹴った理由が
一言一句マニュアル化された営業で
私の個性を尊重してくれない
=ちゃんと向き合ってくれてない


からだったし


会社を辞めちゃおうかなと思ったのは
何も相談せずに自分を犠牲にすることで
=この犠牲的な態度を評価してもらおうとして
結局そのポーズが自分で苦しくなった


だったし



"生まれ"を理由にすることで
自分の能力不足だと認めなくていいし
悔しい思いをしなくていいし
"努力しようがない問題"にして、叶わないかもしれない努力から逃げたかった。



ちゃんと人のせいにできるような生き方を決めていた。

不満や不足をぶつけられる先を確保していた。


その一方で、頭でっかちに『大人』ぶって
自分はちゃんと選択してこられて
悪いようには影響されていない。

私は私のことを分かってる。

としてきた。


でも実際には、
ママの心の癖、パパの思考の癖、ちゃーりんの心の癖、
癖でも性質でもいいんだけれど
ものすごーーーーーく影響を受けていて
私の心や思考を左右し、生き方に直結していた。


だからこの人たちのせいだよね!って意味じゃなくて、
心のどこかで影響されてたまるか!とか
もう乗り超えました、とか

自分で選べてることがカッコイイと思いたくて
『そういうもの』『そういう人』と一方的に定義して
けっきょく、ちゃんと彼らの心と向き合ってこなかった。



そう気づいて
ずーーっと身近な人たちの、
ホロスコープや命式を読み続けて
涙が止まらなかったのです。


どれくらい、この星のせいにさせてもらってたんだろう。

どれほど、この星を否定してケチつけてダメな人呼ばわりしてきたんだろう。

こんなに、強く影響を受けるほどに、一体化しようと思うほどに縋りついていたんだなと。



ちゃんと、受け止め直そう。

嫌な記憶も、甘い記憶も。

ただの星や性質の齟齬を、
鬼の首をとったかのように掲げて
被害者ぶって正当化していたこと。

なぜああ言ったのか。
なぜそう振舞ったのか。
理解しようとしよう=戻れない過去にも"与える"ことができるはずだ、と。


それで、昨日の告知した鑑定へと繋がったのです。

そして、鑑定に使うまでいかない"軽い"内容だけれど
とってもシェアしたいことをLINEに流したいと思ってて
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