いつもブログを見守ってくれている方❣️✨
ご報告します〜


1週間ほど前かな?
こんなこと、してました。

不二子ちゃんの気が狂うくらいの
すごい額が集まりました真顔真顔真顔

ほんとうに、ありがとう❣️❤️✨


『不二子の叫びを読んで
あなたの心が揺さぶられたら
お金に換えて、ください』

だった思うのねお願い

彼女の半生を綴った記事を読んだ瞬間、
これは、文学的価値があると思ったの。

だから、変なメニューを組み立てるより
これを作品として、
その『存在』を買われてしまったほうがいい、と。


実は、これをやった直後、
可愛いあの子から
『不二子ちゃんばっかり構ってズルい🥺』と
言われてしまった。嬉


しかし、これは不二子ちゃんにしか
"上手く"いかない方法だから、と説明しました。


応援して♡助けて♡=期待
のクラウドファンディング的な課金ではないから。

全人類にNOを突きつけて
"すべて絶つ"覚悟があるから。

ずーーーーっと憎んで怒って抗えるから。




私たちはさ、子どもの頃、大人なって、
いろんなタイミングで人と生きていく上で
『迎合』していったんだよね。

こんな、剥き出しの感性で生きていては、
狂ってしまう。
誰とも生きられない。
1人になりたくない。


屈辱感や情けなさを伴いながら
その感性の放出を抑えてみたり。

反対に、
『迎合』が屈辱になるのではなく
一緒にいるためにそうしたい、と
思えてしまう他者と。
その他者も、自分を差し出し返してくれる人で。


友人、パートナー、家族、仲間、ペット、
いろんなカタチの『隣人』と。


不二子ちゃんのスタンスは、
この後者でさえも突っぱねるということで
私は到底、この領域の表現に追いつくことができない。


もう、私たちは、
火の暖かさを知ってしまった元・獣。


あの、荒ぶった感性のまま、
剥き出しの野性と闘う彼女を見ると
『人間』の温さ(ぬくさ)を否定できる姿に
美しさ、清らかさ、そういうものすら感じる。


自分がいつかの日に置いてきてしまったモノを
ほとんどの人が何とか無くしてきたモノを
まだ持っている人がいるんだ!というね。


だから、課金してくれた人は、

共感と、労わりと、そして憧れと哀愁を感じた人たちなんでしょう。


不二子ちゃんに、させた、
曝け出し方をするということは
いまの温もりを自分から否定するということで
ほとんどの人には真似できません。



私なんか、特に絶対できない笑い泣き


応援して♡ほうはできるけれど。

だって、私が不二子流をやったら
『ソレを失おうとしてる可哀想な人』だから。


もう何も持ってない‼️
あるわけ無い‼️‼️‼️

という究極の世界観ね🙏✨



だから、ぶっちゃけ課金されてもされなくても、どっちでもよかった。


ポーンポーンポーン


いっぱいもらったら
『何も持たない』不二子ちゃんは
どう返したらいいか?とか
私に使う価値があるのか?とか
苦しむでしょう。

存在給ほし〜とか
生きてるだけでお金欲しい〜という、
人類の夢の矛盾を晒してくれるでしょう。

人は、『奪われたくない』と言いながら

差し出したほうが楽に生きられる、
『人間システム』に飼い慣らされた
獣には戻れない生物だと。



そして、誰からももらえなかったら
『ほら世界はこんなに殺伐としている』と
不二子ちゃんの絶望を強化して
三島由紀夫のように、
何度でもリングに上げて闘わせるつもりでした。

ずっと怒らせて、
膝をつきそうになったら
『許すのか?』と煽って
狂戦士・ベルセルクにしようと思っていた。


それは、アーティストとか、表現家、演者、
文豪、そういう類のものになればいいなって。




でも結果は。。。。


どうなっていくかな😊




↑こちらへの、私の答えは
射手座新月編につづく♐️❤️