福岡天神バスターミナルで長崎行きノンストップ九州号を待つ。
約2時間のバス旅。

2時間弱、
緑の山々が続く。
トンネルを抜けると、ビルの中に路面電車が走っていた。いきなり別世界。長崎駅に迎えに来てくれた従兄弟の車で従兄弟の家へ。
歓待してくれた(^^)

食べては積もり過ぎた話をして、
では明日!ということでホテルへチェックイン。
ホテルからの眺め。長崎港。真ん中の黒い所は湾。

明けて翌日、50日祭(※神道)は雨になった。亡くなった伯母の息子夫婦、娘夫婦、私の母(伯母の妹)と父と私。極極近親者での法要。コロナ禍では色々社会的に被害や倒産などマイナスな面が多かったが、この葬儀だけはシンプル化し、家族葬が主流になった。これは私としては良いことではないか、と思う。義理張りでの参加がなくなったわけだ。かつ、神道は仏教より更にシンプルだ。
伯母の口ぐせは「長崎に遊びにおいで」だった。小さい頃、夏休み中、長崎で過ごしたことが何度かあった。長崎の暑い夏、蝉の声、精霊流しの爆竹の音、煙、大きな船、鐘の音、提灯🏮、、、
おくんちの蛇踊り、、
持ってこーい、持ってこーい、の掛け声。
果てしない石の階段。
伯母のところにいたスピッツのコロ、
猫のチャッピー、、、
明るい伯母がいて、優しい伯父がいて、いとことはけんかしたり、笑ったり、忘れられない長崎の日々。
父の頭の怪我で葬儀に出れなかった私は、伯母が本当に亡くなったことが今でも信じられない。ベニスの舟歌を朗々と歌う伯母の声が聞こえるようだ。

従兄弟が昔のアルバムを引っ張り出してきて「誰だかわからん」と言う。それに、母が「その人ね、、、」と教えていた。伯母が亡くなり、もう母にしかわからなくなったセピア色の時代。
子供の頃を濃密に過ごしたいとこ達とは、今、お互いがどんなに太っても禿げても(^-^;、一瞬で子供同士に戻る引力がある。
 
優しい、穏やかな、愛に満ちた時間だった。
伯母ちゃん、
ありがとう。
大変お世話になりました。

また長崎に遊びに行きます。