アシスタント生活 | ぴぎのOptimistic Life

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アメリカ移住直前で妊娠。
異国の地で初めての出産・子育てに臨むと同時に応用行動分析士を目指しています。学生ママとしてキャリアと子育ての両立や応用行動分析学について綴っていきます。

この数ヶ月、いろいろあって書きたいことはたくさんあるし、ブログ用に写真もとったけど、どこから手をつけてよいのか。

とりあえず、ハワイでアシスタント教師として生活してみて感じこと。


アシスタントって難しい。

正直、わたしは派遣前の事前研修で
「あなたはアシスタントです。」

と何度も何度も言い聞かせられた気がした。
だから、でしゃばったことはしないで、と私には聞こえた。

アメリカ行が決まって、あれしたいな、これしたいな、こういうことしたいな、って色々思っていたことをことごとく拒否されてしまった気分だった。
全て指導教官に従うように、と言われたように感じた。


けど、実際ハワイに来て、わたしは指導教官のやり方には合わないと思った。
私が捉える日本語教育の意義と指導教官の捉える日本語教育の意義が違った。

日本語を学ぶことの意義は「異文化を通して世界を広げる。そして外から自分というものを見てみる。自分を客観的に見る機会を得ること。」

こんな風に文章にしてしまえば、私と指導教官の捉える日本語教育の意義は同じ。
だけどね、この文化の概念が私と彼の間で全く違う。

これってすごく大きな問題。

彼の捉える文化は運動会や学校生活(制服があるとか)など目に見える文化。だけど、私が思う文化は、そういった目に見える文化じゃなくて日本語という言語に秘められた日本人の心で。。。だって目に見える文化は今の時代インターネットでいつでも触れられるでしょ。そうじゃない、日本語を学ぶからこそ出会う文化を大切にしたい。
目に見える文化が悪いんじゃなくて、言葉に隠れている文化も大切にしてほしい。

だけど、ある表現をめぐって「これは、あまり意味がない会話だから教えてない。アメリカ人はこんな会話しないし」と言われた。
だけどだけど、私には「たしかに意味がない会話に見えるけど、そこには日本人が人と関わっていくなかで大切な気遣いの心が含まれているんだよ」って思って凄く悲しかった。それを伝えたけど・・・必要なこと全部教えて時間が余ったらね。という感じの返答だった。
わたしは、ただ目に見える文化が悪いんじゃなくて、言葉に隠れている文化も大切にしてほしい。

問題はそれだけじゃない。

指導教官は日本語教育について教育を受けたことはほとんどない。
専門は音楽で、日本語は日本に住んでいたときに自分で勉強しただけ。
だから、正直言語教育についての知識がないんじゃないかと思わざるを得ない授業ばかり。

さすがに10年近く日本語を教えているので文法の説明は上手。だけど、文法を説明できるだけで、それをどうやって学生に練習させて、定着させて、話せるようにするか、といった活動が一切ない。
正直、授業もアシスタントしていて、今日のゴールはどこにあるんだろうと思うことばかり。
わたしが思うんだから、学生はもっと感じているはず。


でもわたしはアシスタント。
彼の方針を変える権限はない。

8、9月は、日本であのまま日本語教師を続けていたほうが、学べることもたくさんあった。スキルアップもできた。なんのための2年?とずっと自分に問い続けた。

協力隊参加したときは、配属国・配属先に色々不満があっても、学べることは必ずあるから。どんな環境でも自分次第だと色んなところで言われた気がする。
協力隊はそれでよかった。だってボランティアだもん。わたしはアフリカを見たくて参加して、アフリカで自分にできることなら何でもやりたくて隊員になった。どんな環境でも与えられるだけ幸せだと思えた。

でも、今回は違う。一人であがくこともいいけど、指導教官がついてくれることでより多くのことが学べると思ったからココに来た。確かにここでも学べることはある。だけど、それは私が期待したものじゃない。上手く言えないけど、すべての環境に学べることはあるし、経験する価値はあるけど、本来の目的とは違う形で2年間拘束されたくないと思ってしまう。
若手日本語教師の育成? だったら指導教官のレベルももっと考えてよ。どんな環境でも何かを学べるよう努力しなさい? そんなの派遣した側の責任放棄じゃない?すばらしい環境じゃなくてもいい。だけど、最低限の環境は考えてほしい。私は日本語教師を養成する側になるためにココに来たんじゃない。

同期はある州のNo1教師に選ばれた先生のアシスタントになった。
わたしはなんで?
正直授業だけなら私の方がうまいよ。
まだまだ下手だし、失敗もあるけど、でも指導教官よりまともな授業する自信がある。

これから2年、私は何を学べばいいの?
アシスタントだから一人で授業は持たせてもらえないことになってる。
英語での文法の説明の仕方? それをひたすら2年見続けるだけ? 

そんな葛藤の毎日だった。

指導教官はとても良い人。不満は彼の授業だけ・・・

一時期わたしがあまりに批判的な意見を言うので(それでも10あって1しか言ってない)険悪な雰囲気になりかけたので、わたしは何も言わなくなった。でも毎日ただ学校に言って、ただ教室に黙って立ってるだけ。何もしないから、ヒールを履いた足がなんだか余計に痛くなってくる。

でも今月の秋休みが開けたときに、思い切ってAP(一番上のクラス)を担当させてくれるように頼んだ。
もちろん、わたしにやらせてくれ、て言い方じゃなくて。一度挑戦してみたい、私の授業を見て気付いたことがあれば指導してください。という形で。
本当はAPじゃなくて他のクラスが良かったけど、彼が一番苦手といっていたクラスを持つことが一番効果的かと思ったから。私の授業を見て、彼も少しずつ変わってくれたらいいなと思って。
本当はAPも会話とかもっとコミュニケーションを大切にした授業がしたいけど、今はどうしてもテスト対策にこだわる彼の意向を最大限に重視した授業をしています。彼の提案も、??と思っても出来るだけ取り入れるようにして。そうじゃないと、本当に気づいてほしいところを見てもらえないと思うから。

今日、ハワイ州の日本語教師の勉強会があった。
みなさん、知識も豊富できちんと初級から上のクラスまでの流れも考えて1つ1つ授業を組んでいらっしゃる方ばかりで、話を聞いているだけで面白かったし、刺激になったし、私もやりたい!って思ったけど、私はアシスタント。すぐに学んだことを学校に持って帰って実践!とはできない。くやしい。くやしい。くやしい。

アシスタントってこんなにもフラストレーションが溜まるものなの?

アシスタントなんか二度としない!!!と思った 笑


今は内心わたしが指導教官になったつもり。でももちろん彼の方が上手なこともあるので、お互いがお互いの指導教官のつもりで(私の心の中だけ)少しずつ少しずつ2人の授業をよくして行こうと頑張っています。
忍耐の訓練。


それでも、これは私が前向きなだけで、派遣団体はこうやって頑張ることが当たり前と思うなよーーーー!!
と気が強い私です。