回想記 ~あとがき~ | クラブゴーストタウン【カフェ、音楽事務所、モータース、私立探偵、撮影部】

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急にブログ更新しだしてどうしたんだ?と思えば重いことを書きなぐってしまいました。

勝手に一つの区切りとして、ずっとモヤモヤとしていた思いの丈を書かせてもらいました。

 

内容だけにフォーカスすればよくあることなのかもしれないが、

取り囲むバックグラウンドで起こることに大いに影響し、

芯の深い不自由と圧力と、言えない事情が絡み合っているもので、

一見、表面は、好き勝手に自由そうでも、中身はそうではないのでる。

 

ほんの一部見えた様子に過ぎない。

 

それは、仕事とは別に生き抜きでやっている趣味、家庭にもつながることばかりで、

全てはつながっている。

 

あの職場は人間的な生活を破壊するものがあった。

どんなにタフでにこなしていても、

確実にあのストレスは【精神と活力】を木っ端微塵に破壊していった。

 

 

よくも昨日は休めたもんだな!

 

こんな状況で休めると思うなよ!

 

これが出来てないってことは普段から全部できてないって事とみる!

 

どれくらいのつもりで言ってたのかわかないけど、

この力は絶大で、売り上げの悪い時にこういわれると、

悪い報告はできなくなるし、

バンドをやってライブが決まり毎週練習し、ライブ当日の休みを希望したくても

ずっと今調子じゃそれも言えない。

車の走行会に行きたいとしても同じ。

コンサートを見に行きたくてもいけない。

家族の行事で休みたくても休みを求められない。

旅行なんて到底計画できない。

気が付けば子供は大きくなってしまい取り返せない時間はどうにもならない。

 

僕は中学2年生の時にBOOWYを聞き、ヒムロックに憧れた。

いまだに聞いている。

 

矢沢さんの【成り上がり】は読んではいないが、

BOOWYの【大きなビートの木のしたで】を何度も読んでいた。

 

ヒムロックのようにかっこよく生きていたかった。

 

似ても似つかないような姿で過ごしてきた。

 

信念とは裏腹に、罵倒、屈辱に耐え、

それでも顔色を伺いながら、なんとかやってきて

弱く非常に惨めな思いをしてきた。

 

ヒムロックが引退を発表し、最後になる【LAST GIGS】福岡公演。

 

僕にとってはかかせないものだったので、

なんとか半日休暇をお願いした。

 

しかし、それにもケチをつけられ、当日出勤したら、

今日は何時まで働くんだ!、どんな格好をしてきてるんだ!

コンサート仕様のファッションか?などと、

強い風たりで、嫌な思いをヤフオクドームまで持ち込み、

ヒムロックのラストだったのに、もやついたままだった。

 

どんなに忙しくても毎日ブログを書くのがルールになり、

記事がつまらなかったり、内容が悪いとまたゆわれる。

 

せめていつも機嫌よくしてくれさえいれば、気も楽だったのに、

一瞬で機嫌も変わるので、気が気でない。

 

気が付けばプライベートまで支配され、

思想も気に沿わないと少しでも感じさせると

そんな風に考えてるのか? なぜこう思って行動してないのか?

といわれていた。

 

横でピンハネ、横領で私腹を肥やす者を

横目に金策と対策に頭を抱える。

 

それでもだ、

人間、そんなに悪い奴はそういないと思う。

 

 

追い込まれなけば。

 

基本、良い奴ばかりだと思う。

 

追い込まれなけば。

 

それで私生活や家庭までも、壊れてしまうのだ。

 

追い込まれさえしなければ、背徳も裏切りもそうで、そうは行動しないものだ。

 

 

彼はたまに来ては新調した車や、バイクを自慢し、

ツーリングに行ったことや、コンサートに行ったことを聞かされる。

それでいて、従ってくれる人の精神を攻撃し、自由を奪い、ペナルティと減給し、

時間、お金、自由を奪う。

 

すべて現実でどこに僕の責任はあるのだろうか?

 

なんとか隙間で小さくもがき動いてきた。

 

【ショーシャンクの空に】のように

結局、自由は

自分で手に入れないといけないことに気が付き、

脱獄を計画し、僕なりに少しづつやってきたわけである。

 

そう思ってもそうはいかない。

 

18年間いて、会社に多少なりとも、たしかに損害は与えたかもしれない。

しかし、それ以上に貢献はしてきたはずだ。

 

360連勤の報酬もない。

残業手当なんてない。

代わりのつもりか知らない販売手当の歩合以上に働いた。

時給計算するとバイト以下の賃金に幻滅もした。

お客の信用も上げる努力はしてきた。

書ききれない貢献は数知れない。

退職金なんて契約はもともとなかったが、

これらの清算は何一つなかった。

 

数えきれない罵声、

後ろから蹴り飛ばされたことも、

胸倉つかまれて壁に叩きつけられたこと、

スネをけられたことも、

売り上げが悪く、密室に呼び出されて

日本刀を抜かれ、顔の前に突き出されたこと。

お店で安暴れて、同僚の顔面を蹴り上げて、ぶん殴っていたことも

全てを記憶している。

 

事実しかここには書いてない。

人には言えない職場だったし、この屈辱は今でも消えないのだ。

まだ、そんな嫌な夢をたまに見る。

 

計画途中で彼の旅立ちという、天命をもって、

今、この状況にいるようなものだが、

戦う準備はしていた。

 

今、社風は改善されているに違いないし、

特定して攻撃するつもりもない今だからこそ書けるし、言える。

当時は決して外には言えなかったことを言わせてもらえば

甘えではなく、心の底から本当に辛かった。

最悪の職場だった。

 

似たような環境の人がもし、読んでくれていたら、

僕は言いたい。

 

どうか自責の念を捨て、すぐにでも逃げて欲しい。

 

修行、下積み、未熟、だと思っても

間違えると、とんでもなく取り返せないものになるから。

 

たとえ周りにも迷惑かけたとしても

あなたは悪くないから、逃げる道を選ぶべきだと。

 

そして2020五輪が開催された今年。

僕にとって、挑戦の機会に恵まれました。

 

一つは、

AE86 DRIFT ChampionsCup

これは流れで参加します。(笑)

強豪相手に力は及ばないのはわかっていますが、初の大会経験となります。

 

二つ目は、

恥ずかしながら、9/4のコスモスコモン大ホールでの生バンド演奏で歌わせていただきます。

大ホールで歌う機会は後にも先にもないかもしれませんので、大きな挑戦です。

 

僕のオリンピックともいえる挑戦です。

反動で楽しみすぎてるように見える僕をどうかお察しください。

そう見えても考えてやってるつもりです。

 

ヒムロックみたいにかっこよくは、なれなかったけど、自分なりに

これからは、もっと視野を広げて精進したいと思います。

宜しくお願い致します!