年度替わりに向けての暮らしが始まったG−tomicaです
まだ雪もあるけど、少しは春らしくなってきました
でもね、窓から見える景色はスキー場のよう
我が家の周囲でも、新天地で新生活をスタートしている人たちがいたり、また1年もっともっとと、力を貯める人たちがいたりします
みんな目標に向かって健やかな毎日を
さて、本題
私自身、自分が朽ちていくことに抵抗はない
人はいつか死ぬんだし
死ぬ予想がつかないのは、我が母デヴィだけ
シワも年相応(以上?w)にあるし、くすみもシミもおっそろしい程ある
出産も経験して、望まなくてもお腹周りには冬山で生き残れるような脂肪が貯まる
決して細くなく、しっかりとした肉体と、大地を踏みしめる逞しい後ろ足両足、図太い神経、面の皮も厚い
考え方は柔軟性を持って、古臭くならないように気をつけるけれど、肉体の衰えは自分のできる範囲で、加齢に対して華麗に抗おうと思っている
1号は、私が自分のことを「ババア」呼びすると心底嫌な様子
でも現実は孫がいてもおかしくない年齢なのだ
自暴自棄というわけでもなく、自分の立ち位置はいつも確認する
私が今生きている場所、環境、私を大切に思ってくれる周囲の人達
私を裏切る人がいたとして、その人を責めるつもりもない
それが1号であっても
幼い頃、大切にして欲しい人にこっぴどく裏切られた経験があると、大人になるにつれ達観して責めることもなくなった
『裏切る』と決めたのはその人だからだ
それは誰にも止められない
その代わり、その人が後悔して戻ってきても受け入れない人生を選ぶようになった
入浴前後に自分の体を鏡にうつして、衰え始めた大人な肉体を見つめたところで、精神的な幼さは鏡にはうつらない
肉体のたるみは見つけられても、心のたるみは表れない
誤解がないように書いておくが、見た目を磨くことが、精神的な拠り所ならそれは磨くべきで、精神安定剤となるなら、やりすぎなければ良いと思う
しかし、そういう人も心の鍛錬て、見た目を磨くことが全てではないと思っているはず
人が遠回しに伝えている大切なことに気づかない人が、「見た目が悪いからあなたは大切にされないのだ」と言うのを聞くとゾワゾワする
見た目が素晴らしくても、苦労する人がたくさんいる
見た目を磨かないから捨てられるのだというのなら、美しいと言われる芸能人は、みんなみんな幸せだろうと思う
けっきょく、そこにこだわると幸せの範囲を狭めることになる
ジャッジの基準が目に見えているモノだからだ
見た目、お金、行動
しかし、そのうち精神的な物足りなさを感じるようになる
目に見えることに縛られていると、己の成長が止まると私は思っている
ブスでも幸せな人生なのは、心を磨いているから?
じゃあ最初から心を磨けばいいんじゃないの?
それじゃダメなのかな?
新年度に向けて、見た目がマニア受けする私は(ホラ、見た目がアレだから)、コアな友人たちへここに宣言する
私は成長する
それが老いるということであっても、私は成長する
見た目がいくら衰えようと、精神的な美しさを手に入れるために、日々学ぶことを誓う
と、初老は朝から真面目に書いてみた
気高く生きていきたいな〜
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