申し開き


夢を見たら囈言を言ひませう、
退屈したら欠伸をしませう、
腹が立つたら呶鳴りませう、
しかしだ、萩原朔太郎君、
古心を得たら古語を語りませう。
さうではないか、萩原朔太郎君。

 

 

               青空文庫

 

こんなことがあったのね。

面白い。

 

佐藤春夫が文語体で詩を書いたので 朔太郎がそのことを言ったのかな?

調べてみよう

 

ふるめき‐ごころ【古心】

 古めかしい心。いかにも昔風な、旧式な考え方
              精選版 日本国語大辞典 より
 
 
 
見つけたぞ↓
 
萩原朔太郎が春夫の詩を十年以上古いと批判したさい、春夫は「僕は貴君が僕の詩を目して今日のものでないと言はれたのに一向不服はない。さうして貴君が揚言されるよりももつと古いだらうといふ自覚を持つてゐる。……和漢朗詠集と今様と箏唄と藤村詩集とは僕の詩の伝統である。……古情を愛した時だけ僕は歌ふ。僕の詩は稀で、大てい古語で綴られてゐるのはこの理由による」(「日本詩人」大正十四年八月)と反論した。

『殉情詩集』(日本図書センター)解題 より
・・・
 
 
また別に
 
ここに、佐藤さんの詩にいちゃもんをつける詩人が現れました。群馬県前橋市出身の萩原朔太郎さんです。(群馬育ちの私とは同郷です。)
 

ここに、二人の論争に関する雑感をまとめたブログがありますので、引用します。

 

 

 

仮名遣い表記だけでなく、書き言葉そのものが古語から現代語へとほぼ移行した時代。
日本語について、佐藤春夫萩原朔太郎が論争をしたことがあります。

 

萩原が、
「時代は変わっているのに、なぜ古臭い古語や仮名づかいに拘るのか?」
と佐藤を批判すると、佐藤は、
古心を得たら、古語を使いませう」
と、いかにも詩人らしい反論をします。

 

私は佐藤の「海辺の恋」などを愛唱したものです。

 

ところが、1990年代からパソコンを使うようになると、歴史的仮名遣いはとても面倒になります。
漢字変換ソフトは基本的に「現代かなづかい」に則っているからです。

 

それで私も次第に「歴史的仮名遣い」には拘らないようになったものの、気持ちの中ではいつも、「語に随ふ」という哲学を持つ「歴史的仮名遣い」の言語的優位性を信じ続けています。
 

http://kitasendo.blog12.fc2.com/?mode=m&no=201
 教育学部長の講義日記 私の国語教室

 

 

萩原朔太郎さんは、佐藤春夫さんの詩を称して10年古いとの罵詈雑言を浴びせたそうで、佐藤さんは、彼の随筆集「退屈日記」でもこの喧嘩を取り上げていますし、上の引用にある詩を萩原さんに返しています。その詩は・・・

 

 

 

申し開き

 

夢を見たらうわ言をいいませう、
退屈したら欠伸をしませう、
腹が立ったら呶鳴りませう、
しかしだ、萩原朔太郎君、
古心を得たら古語をかたりませう。
さうではないか、萩原朔太郎君。
 

 

切り返しの言葉に文語体の詩を使うなんて、しゃれていますね

 

 

などなど

もっと調べると面白そうです。

でも この位にします。

 

 

海月