申し開き
夢を見たら囈言を言ひませう、
退屈したら欠伸をしませう、
腹が立つたら呶鳴りませう、
しかしだ、萩原朔太郎君、
古心を得たら古語を語りませう。
さうではないか、萩原朔太郎君。
青空文庫
こんなことがあったのね。
面白い。
佐藤春夫が文語体で詩を書いたので 朔太郎がそのことを言ったのかな?
調べてみよう
ふるめき‐ごころ【古心】
『殉情詩集』(日本図書センター)解題 より
ここに、二人の論争に関する雑感をまとめたブログがありますので、引用します。
http://kitasendo.blog12.fc2.com/?mode=m&no=201
仮名遣い表記だけでなく、書き言葉そのものが古語から現代語へとほぼ移行した時代。
日本語について、佐藤春夫と萩原朔太郎が論争をしたことがあります。萩原が、
「時代は変わっているのに、なぜ古臭い古語や仮名づかいに拘るのか?」
と佐藤を批判すると、佐藤は、
「古心を得たら、古語を使いませう」
と、いかにも詩人らしい反論をします。私は佐藤の「海辺の恋」などを愛唱したものです。
ところが、1990年代からパソコンを使うようになると、歴史的仮名遣いはとても面倒になります。
漢字変換ソフトは基本的に「現代かなづかい」に則っているからです。それで私も次第に「歴史的仮名遣い」には拘らないようになったものの、気持ちの中ではいつも、「語に随ふ」という哲学を持つ「歴史的仮名遣い」の言語的優位性を信じ続けています。
教育学部長の講義日記 私の国語教室
萩原朔太郎さんは、佐藤春夫さんの詩を称して10年古いとの罵詈雑言を浴びせたそうで、佐藤さんは、彼の随筆集「退屈日記」でもこの喧嘩を取り上げていますし、上の引用にある詩を萩原さんに返しています。その詩は・・・
申し開き
夢を見たらうわ言をいいませう、
退屈したら欠伸をしませう、
腹が立ったら呶鳴りませう、
しかしだ、萩原朔太郎君、
古心を得たら古語をかたりませう。
さうではないか、萩原朔太郎君。
切り返しの言葉に文語体の詩を使うなんて、しゃれていますね
などなど
もっと調べると面白そうです。
でも この位にします。
海月