山羊の歌

中原中也

 

初期詩篇

 

 

春の日の夕暮


トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮は穏かです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮は静かです

ああ! 案山子かかしはないか――あるまい
いななくか――嘶きもしまい
ただただ月の光のヌメランとするまゝに
従順なのは 春の日の夕暮か

ポトホトと野の中に伽藍がらんは紅く
荷馬車の車輪 油を失ひ
私が歴史的現在に物を云へば
嘲る嘲る 空と山とが

瓦が一枚 はぐれました
これから春の日の夕暮は
無言ながら 前進します
みづからの 静脈管の中へです

 

  *ヌメラン  ??  語感からイメージなのか

 

冒頭の詩がこれですから

面喰います。

なんだ、これは?

日本語が滅茶苦茶だ

意味が解からん

気が狂っているのか?

なんて思いたくなります

・・・

普通なら読むことを即止めるところですが

中也には好きな詩が多いので

まず 我慢

冒頭の詩だから これは作者の気合というものだよね

 

でも山村暮鳥の方が

もっととっつきにくて

囈語


竊盜金魚
強盜喇叭
恐喝胡弓
賭博ねこ
詐欺更紗
涜職天鵞絨びらうど
姦淫林檎
傷害雲雀ひばり
殺人ちゆりつぷ
墮胎陰影
騷擾ゆき
放火まるめろ
誘拐かすてえら。

 

          山村暮鳥

 

彼(暮鳥)の詩 ずっと無視ししていましたよ

その後 

なのはな なのはな なのはな・・・

という 詩を読んで 興味を少し持つようになりました

 

 

海月