編集後記〜2010年代を振り返る〜
(2022年3月31日現在)ここ一ヶ月間、ふと過去のブログを整理したくなりまして、
2010年1月から始まり、平成最後の2019年4月30日で終わっていた当ブログを、
2019年5月1日から2019年12月31日分まで、インスタから強引にコピペしました。(基本的に、2016年9月以降はインスタからの連携投稿です)
それによって、ちょうど2010年代の芸人活動がブログ内にすっぽり収まりまして。改めて、2019年までは「コロナ前」だったんだなと。写真を整理しながら思ったものです。
ブログ自体はとうに最終回(※2019年4月30日の記事で今後の時代について少しだけ触れさせていただいてます。特に大事な一行もそこに隠されてます)を迎えますし、
今後も特に更新する予定はありません。が、
せっかく整理したので、最後に2010年代の10年間の活動の流れを超ざっくりと振り返ってみたいと思います。
それでは、少々お付き合いください。
まずはこれ。R-1ぐらんぷり2010。2010年2月が決勝戦でした。(なだぎ武さんは会見は欠席でした)
ここからですね。僕の2010年代は。芸名表記も「グラップラーたかし」から「Gたかし」(読みは当時グラップラー)に変わりました。
なだぎ武さん、あべこうじさん、バカリズムさん、いとうあさこさん、麒麟川島さん、エハラマサヒロさん、我人祥太くん、Gたかし。
そして敗者復活戦からはCOWCOW山田さんが勝ち抜いてきました(敗者復活戦二位は友近さん)。
今にして思えば、諸先輩方の豪華すぎるラインナップ。R-1ぐらんぷり史上、最高視聴率なのも納得です。
この大会を最後に、あべこうじさん、なだぎ武さん、バカリズムさん、いとうあさこさん、友近さんがR-1を卒業しました。
完全に上の世代の方達と一緒に戦えて光栄です。ものすごく貴重な経験をさせていただきました。(当時はまだ芸歴6年目でした)
その後「爆笑!レッドカーペット」と「エンタの神様」に呼んでいただきました。
レッドカーペットはおかわりも含めて、かなりはめさせていただいたんですけど…番組が出演後すぐに終了してしまいました。。(エンタの神様も二回目の出演後の翌月に終了しました泣)
ここから「お笑いネタ番組ブーム」の終焉が始まったわけです。
それでも「オンバト+」や「ものまねグランプリ」に定期的に呼んでいただいて、紙芝居ネタを披露させていただきました。そりゃあもう、ネタに脂が乗ってる時期なのでウケましたよ(笑)
しかしこのタイミング(2011年3月)で、所属事務所を退所することが決まりまして。その後、東日本大震災からの復興と同じ時期に芸能活動を約一年間自粛しました。
(当時は事務所を辞めると半年〜一年間、メディア活動が出来ないという業界の暗黙のルールがありました。)
ただ、前の事務所(トップカラー)にはすごくお世話になりましたし、今の事務所(サンミュージック)に繋いでいただいたのも、前の事務所の社長です。本当にありがとうございます。
この一年間は、ラジオのレギュラー(文化放送「夕やけ寺ちゃん活動中」)はそのまま続けさせていただきました。毎週毎週AMEMIYAさんとネタ対決。AMEMIYAさんがブレイクしたのもこの年です。(この後、売れてどんどん太っていきます笑)
事務所を移籍して、2012年にテレビ復帰してからは、ネタ番組は「オンバト+」のみ。一年間のブランクです。
この年に何とか結果を出しまして、ありがたいことに2012年のオンバト+視聴者投票年間一位になりました。
どうやら、スタッフさん曰く紙芝居ネタはアップで抜くとテレビ的には見やすくていいみたいです。それがテレビの向こうの視聴者投票結果に繋がったのではないかと言われました。
(オンバトの会場は地方の会館が多かったので、広さ的に真ん中より後ろの席のお客さんにはフリップの絵がどうしても見づらかったみたいです。これは後のR-1ぐらんぷり2012以降は「準決勝の会場が広すぎて絵が見えにくい問題」にも繋がります。)
あと見た後に記憶に残りやすい芸風(当時はものまね紙芝居で戦ってました)ですし、何かと有利な条件が重なった気がします。
一部芸人さんからスタッフさんの贔屓だという声も出ましたが、そんなことはありません。間違っても投票を操作するような方達ではありませんし、こよなくお笑いとガチを愛する方達なので。(でないとこんなガチネタ番組は作りませんて。)
先輩芸人からは「視聴者投票のG」と呼ばれてました。ただ僕自身も不思議っちゃ不思議だったんですけどね(笑)
たまたま番組とネタとカメラワークの相性が良かったんだと思います。
そして、第三回オンバト+チャンピオン大会に年間視聴者投票枠で出場させていただきました。
ピン芸人はヒューマン中村さんと自分のみ。ヒューマンさんとはたまたま当日の点数も打ち上げも一緒でした。
とにかく明るい安村さんがコンビ時代。アームストロングさんとして出場してます。
優勝はトレンディエンジェルさん。この二年後にM-1を制します。
そして、2014年3月に同番組は終了しました。2000年初頭から続いた「ネタ番組ブーム」は「爆笑オンエアバトル」に始まり、様々なネタ番組を経て「オンバト+」で完全に終了しました。
(今現在は、ネタ番組ブームというより「賞レースブーム」ですね。)
2010年代の前半戦はこのように終わっていきました。
そしてここから、藤原竜也さんのものまねが始まります。
R-1ぐらんぷり2016準決勝(2016年2月)より。
この年決勝には行けませんでしたが、ほぼ時期を同じくして、、
日本テレビ「行列が出来る法律相談所」に呼んでいただきました。
そこで、とっさに生まれたのがこれ。
いやぁ〜怒られましたねぇ(笑)
実はこのネタ、前兆がありまして。この収録の半年前にHey!Say!JUMPさんの番組ロケで、地面に顔をつけて「キンキンに冷えてやがる!」ってやったら思いの外ウケて(笑)
それがどこか頭の中に残ってたんだと思います。スタジオで咄嗟に「床がキンキンに冷えてやがるよ!!」とやりましたらめちゃくちゃハマりまして。
後はもう、東野さんと後藤さんにめちゃくちゃおいしくしていただいて。藤原さんにも本当に良くしていただきました。
「オンバト+」終了からは、ものまねの軸がアントニオ猪木さんから藤原竜也さんに変わっていきました。その2年後、2016年3月の放送でした。
今でも、僕のことは知らないけど「キンキンに冷えてやがる」って言う人は知ってるという声は聞きます(笑)ちょっとした代表作かもしれません。
その後「ものまね紅白歌合戦」でこのネタがハマりまして。
同番組で藤原竜也軍団が結成されました笑(※現在は僕は卒業してます)
藤原軍団、一発目の放送は反響が凄かったですね。Twitterのトレンドが一位になったり。このユニットは四年くらい続きました。今では「5密」で無理です(笑)
この辺になるともう、最近の気がします。ありがたいことにピンでも軍団でも藤原竜也さんのものまねの現場が増えまして。
「帰れま10」に呼んでいただいたり。
そして人生初めてのドッキリもかけていただきました。(※年末特番のドッキリです。)
「櫻井・有吉THE夜会」でついに藤原竜也さんご本人が逆ものまねを!!
2010年代の後半戦は藤原竜也さんのものまねで食べさせていただきました(笑)
その一方で、2019年の前半にTwitterで一ヶ月のリツイート数を競う単発のものまね番組が。
「水曜日のダウンタウン」スタッフさんによる「似すぎてジワる」放送はこれ一度のみ。
上位50組がオンエアされるこの番組。奇しくも、
モリタクが20位で中居正広さん。
Gたかしが18位で中居正広さんでした。
そして同年の12月。
「細かすぎて伝わらないモノマネ」で声真似と顔真似を分業する二人羽織ものまねを初披露しました。
YouTubeで300万再生いったネタです(※現在は削除されてます)
こうして、この10年間は終わっていきました。(ざっくり)
Gたかしの2010年代は、
ここに始まり、
ここで終わりました(笑)最後は画面から消えて終わりました。
いや、めっちゃくちゃダイジェストにするとですよ💦
もっと細かく刻んだ活動内容は、ブログに収まってますので、今後もWeb上にひっそりと日誌として残っていくでしょう。
コロナ前はとにかく、お笑いライブを中心に活動してました。年に一度のR-1に照準を合わせて、毎月新ネタを事務所ライブのネタ見せでやって、手直しして事務所ライブにかけて、それを他所のライブで揉んで、その年の勝負ネタのパッケージを決めていく。
パッケージが決まったら、中身をその後の事務所ライブと各種お笑いライブでブラッシュアップしていく。そして一番出来の良いネタをR-1に持っていく。
R-1期間中には、台詞の言い回しひとつで笑いの量が変わるので(例えば「〜です」と「〜でした」でも笑いの量が変わります)、文字数の調整、間の調整、僕の場合は絵の構図の調整、とにかくライブを刻んで一回一回調整していきます(※これらの調整はショーパブでは出来ません。お笑いライブのみです。)
これらを休まず10年間続けました。別に大したことではありません。芸人皆やってることですので。
1500枚以上、紙芝居を描きました(これは皆やってないですね💦アホほど描きました笑)
毎月毎月、世界堂(画材屋)に通って。なので全く悔いはありません。やりすぎるだけやりすぎたので。
ただ、もうちょっとデカい紙で描けば良かったかなって思います。
(R-1の準決勝を見に来たお客さんから、会場が広すぎてネタの絵がちょっとしか見ませんでしたと言われました。人に指摘されるまで気づきませんでした笑。準決勝がラフォーレミュージアム六本木の時代です。)
たまたま、2014年の準決勝を会場のモニター横(モニターからは当然、絵ネタがアップで見れます)で見ていた山里亮太さんが後日、ラジオで「あのネタが負けるのは有り得ない」と熱く語ってくれました。ありがたいお話です。
2014年の「アイカタオ猪木」ネタは、オンバト+でも一番点数が高かったので、あれでもう一度R-1の決勝に行きたかったですね。そしたら決勝の二本目は「プロラスラー空耳列伝」をやってたでしょう。その世界線も見てみたかったなぁ。
決勝以外の回で準決勝は四度ほど行かせてもらいましたけど、R-1用にデカい紙で描いてたらどこかで結果が違ってたのかなぁ。。うん、考えないようにしよう。そこまで込みでR-1だから(笑)
※現在の準決勝の会場(大阪)は、そこまで大きくないです。しかもステージモニターもついてるので、フリップ芸人のためにも会場はずっと変えないで欲しいです。
見えにくいからウケにくいという基準は、本来のネタの面白さとは別の話になってしまうので。
営業でたまにプロジェクターを使ったりしてますけど、絵が大きく見えるだけでネタが同じでもウケ方が全然変わります。
とにかく我が芸人の青春時代は、R-1とオンバト+に詰め込まれてた気がします。いわゆる若手時代というのでしょう。今にして思うとですけど。
そう考えるとお笑いとものまね、ニ倍楽しい芸人人生を歩ませていただいてるんですね。普通は片方のみのルートですから。逆を言うと誰とも分かり合えないのかもしれませんが(笑)
ほとんどのものまね芸人は、お笑いライブや賞レースで苦戦してますし、逆にお笑い芸人はショーパブや営業ではハマらない人が多いので。そもそも別物なんですよ。ジャンルが。
中庸という意味では、僕自身はプロレスなのか格闘技なのか分からないファイトスタイル。UWF(※80年代、90年代のプロレス団体。ファイトスタイルは格闘技寄り。後の桜庭和志を生み出した)に惹かれたのも必然だったのかもしれません。
よく先輩に「お笑いとものまねの狭間の芸人」と言われてましたし。それが僕のファイトスタイルなので。Uスタイルならぬ、Gスタイルです。話を戻します。
2010年から毎年ひとつの目標としてきた、R-1ぐらんぷりも2020年大会を持ちまして、出場資格が芸歴10年以内に変更されました。これで完全に卒業です。
がっかりしたというよりも、ようやく卒業出来るという肩の荷が降りた感じの方が強かったですね。
毎月20〜30枚、フリップ描いてましたから。ウケるためです。ただ真似するだけじゃダメなんです。
ネタライブ、大喜利ライブ、トークライブ、それらをこなした上でものまねするからいいんです。と僕は思います。芸人と名乗る以上は。
それらの基礎体力は、ある程度30代の時につけました。今から身につくものでもないので。(ただし、ものまね芸人でこの基礎体力作りをやってる人はいないです。僕が勝手に必要だと思ってるだけです。)
そして、R-1ぐらんぷり2020予選終了とほぼ同時期にコロナ禍が始まり、今現在に至ります。
芸歴11年以上のピン芸人の大会「be-1グランプリ2021」今後、このような大会は増えていくでしょう。
↓決勝戦の総評を書いた作家さんのブログ。見てくれてる方は見てくれてる嬉しさがありました。いかんせん孤独な芸風なので。
レギュラーだったお笑いライブはどんどん中止していき、ビタミン寄席も怪人社ライブも石田ちゃん祭りもなくなりました。(石田さんのご冥福をお祈りします。。)
もう怪人社ライブの集団打ち上げもありません。寂しいものです。
事務所ライブ(GETライブ)も昨年(2021年)末をもって卒業させていただきました。もうR-1もありませんし。いい歳になってきましたので。
この世界に入って、一番最初にお世話になった事務所(SMA)から、ずっと月一でやってきた事務所ライブを卒業するということは、言葉を選ばずに言わせてもらうと、ネタの生理があがったような感覚さえします。(男なので分かりませんが。すみません💦)
ただ、これからもネタは作り続けますけどね(笑)月一のお笑いライブ用の4分新ネタサイクルからは降りるというだけで。
テレビ用のネタ、SNS用のネタ、YouTube用のネタ、営業用のネタ、ショーパブ用のネタ、飲みの席用のネタ(笑)
場所に合わせて色んなネタの形がありますから。
お笑いライブ用のネタ=R-1用のネタ=競技用のネタはもう作らなくなるだけで。
※誤解のないよう。ものまね番組は競技ではありません。お祭りです。なのでこれからも作ります。
とにかくこの二年間(2020年、2021年)で、活動の軸ががらっと変わりました。
今、このタイミングで編集後記を書いているのも、これからなんとなく次の段階「コロナ後」が始まる予感がしてるんだと思います。
その前に一度「コロナ前」(2019年まで)の流れを自分自身、どこか総括したかったのでしょう。
今後の活動のヒントはこの二年間(2020年、2021年)にありましたし、現にこれからは「ギャグ漫画と動画撮影とテレビ用と営業用のものまね」に力を入れると決めてますので。
マイナスばかりじゃないです。漫画も動画もコロナ中に始めたものなので。それがなければスタートしてなかったかもしれません。(漫画に関しては、たまたまこのタイミングでネームの仕事をいただきました。それも縁です。)
週刊漫画TIMESとコミックトレイルで連載中の「巨匠」Gたかしは毎話ネームの一部を担当してます。
芸人になる前に、ギャグ漫画でビッグコミックスピリッツの努力賞を獲らせていただいたのですが、まさかその時の続きをやらせてもらえるとは。髙橋先生に感謝です。
今後はお笑いライブでの露出は減っていきますが、各地ものまねのショーパブはガンガン出ていきますよ。生活が助かってますから!笑
(そういえばブログにあまりショーパブの様子が載ってないですね。お笑いライブと同じくらい出演してました。)
むしろ今後の活動は、お笑いから片足が抜けた分、ものまねに振り切っていくのかもしれません。この10年、15年で培った笑いの要素を生かしつつ。
なのでこれからも、お笑いものまね芸人のGたかしを宜しくお願いします。
僕にしか出来ないことって、あると思うんですよ。
それをやり続けたいですし、それが必要とされる機会が増えた時期が、
後に僕が売れた時なんだと思うんです。
2022年3月31日 Gたかし