会社、というものをひとつのコミュニティ”運命共同体”といった言い方をする人がいる。

それは「会社がなくなるという事はあなたが困る事ですよ」とか
「会社の利益追求を皆で考えましょう」という意味ととれる。

それは当然すぎる程当然の事だが、意味を履き違えていたり
間違った使い方をする人も多いようだ。

俺が今までに経験した内容としては、以下のような事例だ。

①社内の工程内不良が増加 → 損失コストが増加 → コスト削減をうたい不良品を混ぜる
 =不良品の流出、顧客クレームとなる。

②損失補填のため人員削減を実施する。 → 不足する工数の処置について、いきあたりばったりの
 政策に打って出る。 → 下位メンバーの能力オーバーによる、過労、離職の発生。
 =顧客への納期遅延、またはクレームの発生となる。

上記のような事例は中小企業であれば恐らくだれしもが聞いた事がある、経験した事があるのでは
ないだろうか。


所詮、中小企業なんて思っているだろうが、その通りである。
では、上記のような事例において、大企業であればどのように処理をするか、
考えてみたい。

①社内の工程内不良が増加 → 損失コストが増加 → QCサークル、または改善グループの結成、
 社内の問題点について改善を実施する → 場合により顧客への相談、打ち上げ。 
 =改善の継続、実施により削減。

②損失補填のため人員の削減を実施する。 → 対象者の引き継ぎ人員、工数と引き継ぎ期間の確保 
 → 引き継ぎの実施、確認 → 削減

中小と大企業の差はさしてこのようなものである。
(大企業であれば業務自体がマニュアル化されているなど有利ではあるが)
損失金の削減、人員の削減など、来る10月以降は厳しくなる問題と思うが、
重要なものは「前段取り」である。 そして何事も必ず、
適正な時間をかける事が大事である。

時間を1ヶ月余分に持つ事で顧客の信頼を勝ち取り、躍進できる企業になれれば、
投資した時間の元は十分にとれる事だろう。
人生において重要な事。

衣、食、住だとか、三大欲求だとか。
人は3分の一寝て、3分の一働いて、3分の一余暇を過ごす。

働く事 = 良い仕事に就く。

寝る事 = 良い伴侶(もしくは家族)と過ごす。

余暇  = 良い仲間/趣味を持つ。

と考えてみる。

この3つが同位置であるならば、結婚も、仲間を選ぶ事も、趣味も
仕事を選ぶ事と同じだけ、重要でなくてはならない。

しかし、こうも考える。

ー ”良い” とは、誰が為の”良い”であるか ー

俺は決して今まで、マジメに生きてきた訳でも、かといって
悪ぶって生きてきた訳でもない。
ごくごく普通に暮らせてきた。暮らせてもらってきた。

しかし、”良い”という意味については誰が正しいという事はない。

自分自身が”良い”と言える事だけが、

自分にとっての”解答”であって、何物にも脅かされる事のない、
不可侵のものだと思っている。
人は、転勤の時、何を考えるだろう。

好景気で、都会方面なら

「栄転」

不景気で、地方(ましてや子会社への出向)なら

「左遷」

となるのが正しい道だろう。

俺はその後者であったようだ。

09年 4月に転勤してから、1ヶ月。

・作業者が過労で倒れた。
→作業者の上司は「出来ない」と一蹴。
→結果俺が担当者に(泣

6月、転勤先の工場移転により、浜松から拠点を移し、統合する事に。

拠点の移動時は、「移動先の人たちはデキる人ばかり」と聞いていたが、

そんな訳ないやん!!

はっきり言って、仕事分かってんのか?!って状態。

8月、やっぱり岐阜に帰ろう、と辞意を決意するも、景気の動向と
私的な経済事情により断念。

10月、品質担当として尽力した甲斐があり上級職へ異動。
矢先、部下一名の辞職が決定。
→一時、担当者へ逆戻り。
12月、経験者を迎え、上級職者として6名の部下と業務に当たる。

10年4月、特定の顧客クレームが毎月2件であったのを
6ヶ月 ”0件”達成。

そして今、新たな業務に取り組んでいる。

俺は、流れ着いた先で、始めて輝く事ができた。

それは、流れた星か、花火のようなものか。