会社の元のセクションに復帰して半年程は、残念ながらというか、幸いにというべきか、あまりまとまった仕事はなく、精神的な負荷も少なくて済みました。

復帰を支援してくれた上司の配慮のおかげでもあります。

しかし、半年後、異動がありました。

第一線からは離れ、管理部門です。現場にはもう居られないんだなとは思いましたが、余暇が充実していましたから、それほど気落ちもしませんでした。

異動直後は、手持ち無沙汰がありましたが、異動先の上司が現行業務だけではお腹一杯にならないだろうと、新設課との兼務を命じられ、仕事が一挙に倍になりました。

ところが不思議なもので、やはりサラリーマンだし根が技術者なんですね。

やりだすと止まらない、次から次から仕事が舞い込む。

でも、少し出来ると周りも認めてくれるし、達成感がある。

出来れば、遣り甲斐を感じるし人と臆することなく話すようになって信頼もされる。

そうしてほんの少しずつの成功体験の積み重ねが、完全に無くしていた自信を甦えらせてくれたのですね。

てなわけで、大丈夫。ウツは必ず良くなる。時間が解決してくれる。みんな必ず生きる力が甦る。

だから、ちゃんと薬飲んで、ゆっくりゆっくりいきましょう。 ね。

どうしてサンカに触れた文章に行き当たったのか、確かなことはもう覚えてはいません。

当時は一年近く仕事を休み、二週に一度、診療所へ薬を貰いに行くほかは、殆ど誰とも口もきかず、少しネットを見るくらいが気力の関の山でした。

恐らく、辺境で人知れず死ぬことを考えて、ぼーっとネットサーフィンを繰り返していたのでしょう。

そうするうちに、かつてこの国に、戸籍にも載らず、差別の眼で見られることもありながら、厳しい掟と高い誇りを持ち、僅かな道具を携えて野山を移動しながら狩猟や道具作りをして暮らす人々がいたという話に出くわしたのです。

彼らは様々な呼ばれかたをしていた様ですが、近代になってサンカと呼ばれたようです。

彼らに関する、ニフティに上げられえた八切止夫氏の著述、くまのらいふのサイトなどを見て、そういう生き方をした人々もいたんだなと思い、民俗学みたいなことに少し興味を覚えたのだと思います。

そして、その興味はマタギの狩猟生活や、漂流者の生活、山村の生活などに向かい、診療所の帰りに書店へ行って、それらの書籍を買っては少しずつ読むようになりました。

そうするうちに、野山を歩きたくなって、近所の里山の公園を散歩するようになり、高尾や陣場山へ登るようになりました。

元来の野宿オフローダーの魂に火が着いてしまったら、バイクで関東甲信越の山を年に2万キロもあてもなく走り周り、冬は
荷物が積みきれないのでクルマも買い換えて更に放浪するようになりました。

勝手ご免の気儘な野宿旅ですが、行く先々ではやはり人との触れ合いもある。

佐久のおばちゃんにトマトを貰い、伊那の林道で脱輪したおじさんを里まで運び、湯田中のお姉さんには話を聴いてもらい…。


そりゃ酷いもんで、苦しい日々でしたよ、ウツに落ちてるときは。

やな事ばかり思い浮かぶし、死ぬことばかりに結びつけるし、かといって死のうにも動く気力もない。

余計に落ち込んで、うずくまっているしかない。

だから、ウツの人は治りかけて少し動けるようになった頃に、自殺してしまうことがあるのかもしれません。

でもね、きっと治ります。時が心を癒してくれます。必ず。

ただ、時を過ごすのを助ける為にも、薬は飲んだほうがいい。

効いてくれるのか、頼りになってるのか信じられないですが、薬は相性がありますし、自分は何もかも諦めてしまうのがこの病気なのですから、もおダメ元で医師の出す薬を飲むわけです。

急に良くなりゃしません。
でも、時が過ぎれば、必ず良くなる。

ほんの小さなことがキッカケで、少しずつ、少しずつ、生きる力がまた生まれてきます。

キッカケは自分の好きな、ほんの少しでも楽しめる事です。
あまり人とはかかわらずにできる事がいいかも。

そして、少しずつ体を動かしていけることがいいみたいです。

わたしのキッカケは、サンカにまつわる文章を眼にした事からでしょうか。