大谷翔平 エンゼルスGMが明かした“特別な才能”GMがあげた「空間把握能力」と「変われる力」 | 茶漬けのソーダ水|記色

茶漬けのソーダ水|記色

鉛筆-落描き-失敗と失望-時間と時代-親不孝は親孝行-俺の雑な道標

文藝春秋ダウン鷲田 康|文藝春秋 2018年6月号

「ただ信じられない」

 今年で45歳を迎えるシアトル・マリナーズのイチロー外野手は、こう言って言葉を飲んだ。

 投打二刀流でメジャーに挑戦するロサンゼルス・エンゼルス、大谷翔平選手の活躍について、現地の有料スポーツサイト「ジ・アスレチック」が、イチローを直撃したのだ。

「スター選手は正しいときに輝きを見せる。彼がいましていることは、スター選手とそうでない選手の違いでもある。注目が集まる中ですべてをやっているのだから……」

 大谷の存在感をこう評したイチローが続けたのが冒頭の唖然とした言葉だった。そうしてイチローは選手としての大谷に言及した。

「大谷のどっしりとした心構えが身体的、精神的、感情的な面で様々な局面を切り抜ける上での助けになる。僕は他の人々と同様に大谷がマウンド上、そして打席で素晴らしい結果を残していることにも衝撃を受けている」

子供たちが原っぱで野球をするように

 17年前のイチローの登場も全米を衝撃に包んだ。

 ただ、イチローやその後に海を渡ったニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜外野手、またパイオニアである野茂英雄投手や黒田博樹投手といった過去の日本人大リーガーたちと大谷には決定的な違いがある。



「僕はバッターではあまり緊張したことがない」

 メジャーデビューを果たしたオークランド・アスレチックス戦後の記者会見では、ときおり笑顔を見せながら大谷はクールにこう言ってのけた。

「全体的に楽しめたかなと思っています。そっちの気持ちの方が緊張感を上回っていたんじゃないかと。(試合への)入りから、最後までそういう気持ちだったのではないかと思います」

 初登板後の発言だ。

 先達たちはメジャーという高く、厚い壁に向かって修行僧のような厳しい表情で立ち向かい、苦難の末に結果を残してきた。しかし大谷は子供たちが原っぱで野球をするように楽しみながら笑顔で易々とその壁を乗り越えていっているように見える。

 今までの日本人メジャーリーガーとこの23歳の若者の最大の違いは、そういうグラウンドでのメンタリティーなのである。その違いがイチローには「信じられない」光景として映っていたのだ。

 そうしてメジャーの階段を登っていく大谷の姿を、メジャーの関係者たちはどう見ているのだろうか。

「なんてキュートなの!」

 まずは、開幕からの大谷の活躍を振り返っておこう。

 現地時間3月29日(日本時間30日)。アスレチックスとの敵地開幕戦で初打席初安打を放つと、初登板となった4月1日の同カードでは、6回を3安打3失点に抑えて初白星を飾った。

 白眉は本拠地に戻った4月3日からの投打の大爆発だった。

 本拠地開幕戦となった3日のクリーブランド・インディアンス戦の第一打席でいきなりメジャー初本塁打となるスリーランを放つと、そこから3試合連発の離れ業を演じる。さらに2度目の先発となった8日のアスレチックス戦では7回一死まで一人の走者も許さない完全ペースの投球で、結局、7回を一安打無失点に抑えて早くも2勝目をマークしたのである。

 この活躍にキャンプでの不振から“日本のベーブ・ルース”に懐疑的な目を向けてきた現地メディアは、こぞって手のひら返しの大絶賛に回った。

 3日の一号では新人の初本塁打にはあえてベンチに戻っても無視するというメジャー流“サイレント・トリートメント”を受けて、祝福をおねだりする大谷の姿をテレビが中継。「なんてキュートなの!」と米国の女性たちもハートを射抜かれた。

 何より「ツー・ウェイ(二刀流)」という前代未聞のチャレンジに、もっとも疑いの目を向けていたメジャーリーガーたちが、投手として、野手として「SHOHEI OHTANI」というプレーヤーを本物と認めることにつながったのである。

打撃練習で度肝を抜く

 大谷がまずメジャー関係者の度肝を抜くのは試合前の打撃練習だ。チームメイトでメジャー最強と言われるマイク・トラウト外野手や通算600本以上の本塁打を放っているアルバート・プホルス内野手よりも打球が飛ぶ。敵地に乗り込めば、興味本位で相手チームの選手たちが打撃練習を覗きに来る。その目の前で大谷はスタンドの上段に次々と打球を叩き込むのである。

「練習を見てアスリートとしての能力がどれだけ高いかわかっている。打者としても投手としても試合でパワーや適応能力を十分に見せている」

 こう評するのはMLB公式サイトのエンゼルス番、マリア・グアルダド記者だ。

「キャンプの打撃投手で素晴らしいボールを投げるのを見て、彼ならひょっとしたらと思ったわ。とにかく身体能力が非常に高く、メジャーのプレーヤーの中に入っても特別なものを持っている」

 野球記者歴30年というヤフー・スポーツのティム・ブラウン記者もこう脱帽した。

「開幕から力強いスタートができたことは、私もすごく嬉しかった。野球選手というのは一年間の長いシーズンを戦わなければならない。NPBでも2Aでも3Aでも、どんなリーグの選手でもスタートでこれだけの成功を収められることは、その後のキャリアにとっても非常に重要なことだと思っている」

 こう語るのはエンゼルスで大谷争奪戦の陣頭指揮を執ったビリー・エプラーGMだった。

 エプラーGMはカリフォルニア州サンディエゴ生まれの42歳。コネチカット大学で投手としてプレーしたが、肩を痛めて野球を断念。卒業後は一時、財務アナリストとして活動していた経歴を持つメジャーでは典型的なGMの一人だ。

 2000年からコロラド・ロッキーズのパートタイムのスカウトを務めた後に04年オフにニューヨーク・ヤンキースに移籍。その後、ブライアン・キャッシュマンGMの右腕としてGM補佐まで務めた。ヤンキース時代に松井が在籍し、その後はイチローの移籍、田中将大投手のポスティング移籍などをつぶさにみてきており、日本人メジャーリーガーへの見識も深い。エンゼルスでは15年からGMとして手腕をふるっている。

「僕は15回ほど日本には行ったことがあるよ」

 優しそうな表情でこう語るように、エプラーGMが初めて大谷を見たのはヤンキース時代、まだ大谷が花巻東高校に在籍していたころだった。大谷の素質を見抜き、そこからずっとエンゼルス入りの道筋を作ってきた。まさにエンゼルスでは一番、大谷を知る人物なのである。

 オープン戦では打者としては打率1割2分5厘、投手としても防御率27.00と散々の成績だった。しかし同GMは「我々は結果には左右されない」とマイク・ソーシア監督とともに大谷のメジャースタートを貫いてきた一人だ。

 そのエプラーGMは自チームの主砲のトラウトや、シカゴ・カブスの若き主砲、クリス・ブライアント内野手と大谷に同じ能力を見ている。

 それは空間把握能力とそれを野球の動きに転化できる高度な身体表現能力だという。

「例えば……」

 その空間把握能力を説明するために、エプラーGMはインタビューをしていた約30畳ほどの広い部屋を見回した。

「ここにあるたくさんの椅子を部屋の中に配置して、それを見せてから彼に目隠しをする。そうしてあの椅子に座れと命ずると、彼は目隠しをしたまま、その椅子に座ることができるはずです。目隠ししていてもどこに、どの椅子があるかを一瞬で把握できている。自分の身体がその時間と空間の中で、どういう風に動いているかが分かるのです」

日本ハム時代から大谷はものまねの名人だった

 同GMが大谷のこの能力に気づいたのは、アリゾナのキャンプでのことだったという。

「全然やったことのないアジリティ(敏捷性)のドリルをやっていると、いとも簡単に周りのスピード感に合わせて、自分のやりやすいようにそのドリルをこなしていった。おそらく勘の良さもあるのでしょう。もちろんエリートレベルの運動神経は持っていなくても、そういう感覚を持っている選手はいる。ただ、その2つを一緒に持っている選手は極めて稀なのです」

 それがトラウトでありブライアントであり、そして大谷なのだ、と言うのだ。

 この話を聞いて思い当たることがあった。開幕直前に行った打撃フォームの修正だ。

 日本ハム時代には右足を大きく上げる一本足打法だったが、メジャーの投手のタイミングに合わせるためにフォームを少し修正した。

 新聞等ではノーステップ打法と書かれたが、正確に言うとちょっと違う。右足を上げる動作を小さくして、右ひざを内側に絞るようにひねりながら、右かかとだけをあげる。そこから一気にインパクトに向けて、今度はかかとを踏み込んで打つ。一般的にはヒールダウン打法と言われる打ち方だ。今までと同じように右に踏み込む感覚は残しながら、足の動きをかなり小さくして時間を省略した。

「打ち方を変えたわけではない。一部を省いただけです」

 大谷による説明だ。

 実は日本ハム時代のフォームも憧れていたワシントン・ナショナルズのブライス・ハーパー外野手の打ち方を真似たものだった。

 そしてこのヒールダウン打法の膝とかかとの使い方は、前出のプホルス内野手と全く同じなのである。

 日本ハム時代から大谷はものまねの名人だった。パッと見ただけで、それを同じように再現できる。ハイレベルな動きで身体表現できる。特別な空間把握能力と高度な身体表現能力が合体しているからこそできた、開幕直前の緊急修正だったのである。

天から授かった才能

 加えてもう一つ、エプラーGMが挙げる大谷の力が、環境の変化に合わせて自分も変われる力だった。

「このチームでの生活もそうだが、彼は自分が身を置く環境の中で、たとえそれが合わなくてもいつの間にか自分がやりやすい状態にもっていくことができる。メジャーに来て、最初は戸惑いもあっただろうし、言葉や食事、様々な不自由なことがあったと思う。でもいつの間にかチームに溶け込んで、自分自身がやりやすいように変わっていっている。それは天から授かった彼の才能、宝だと思う」

 前述の打撃フォームの修正もそうだが、変化できる力を見せた一つの例が、日本時代とは大きく変えた投球の組み立てだった。

 最初の先発となった4月1日のアスレチックス戦では、スライダーが抜けてほとんど使えなかった。そこで試合の3回からスプリットを軸に変えて成功した。すると2回目の登板ではスライダーをほとんど使わずにスプリットとストレートで相手をねじ伏せていった。

 このときは5回まで65球を投げて、半分近くの28球がスプリットという内容だったが、試合後にはこんなことを話している。

「スライダーとかスプリットというのは、悪くてもこれからも使っていかなければいけないボールです。だからダメでもこれからも投げていかなければいけないし、その中で少しずつ修正していければと思っています。変な言い方ですけど一年かけて変わっていければいい」

 3度目の登板となった4月17日のボストン・レッドソックス戦では、右手中指のマメを潰してスプリットが制御できずに2回で降板。しかし同24日の4度目のマウンドでは、一転して立ち上がりからスライダー中心の配球で対戦したヒューストン・アストロズ打線を面食らわせるなど、日本時代の困ったらストレートでねじ伏せる投球からの変化をみせつけた。

今度はどう再び変化できるか

 近年のメジャーはデータの蓄積の競技だと言われる。大谷も投げるたびにボールの軌道や変化球の変化の仕方、ピッチング内容がデータ化されて、それを基に攻略への対策が練られる。すでに打者としては右方向への打球が多いことから、遊撃手が二塁ベース後方を守るシフトが敷かれるケースも出てきているが、分析がすすめば投手はその方向に打球がより飛ぶように球種や配球も変えてくる。

 それに対して大谷自身が、今度はどう再び変化できるか。その変化力が今後の成績のカギでもあるし、メジャーで二刀流という野望が、本当に実現できるかどうかの分かれ目でもあるはずだ。

 ヤフー・スポーツのブラウン記者は、大谷に夢を託す一人だ。

「彼がそれだけ特別な選手かどうかは、今後も見ていかないといけないけど、二刀流にはYESだ。僕は彼が特別な選手だと信じたい。最終的には二刀流はうまくいかないかもしれない。ただ、ショウヘイの身体能力は非常に高いし、彼は少なくとも現段階では二刀流を大リーグでもできることを証明しつつある。そのためにとても努力もしている」

 同じように二刀流への夢は否定しないが、ただ現実的には厳しいと見ているのがMLB公式サイトのグアルダド記者だった。

「おそらく今シーズンは投手で120イニングから130イニングを投げて防御率は3点台。打者でも3割を打てるでしょう。出塁率も3割台をマークして本塁打は15本くらいまで届くと予測する」

 ただ将来的な二刀流に関しては、やはりトーンが落ちる。

「期待はしたいけど、自分の頭のどこかで『NO!』とも言っている。これは本当に分からない。もしチームがいまと同じように二刀流としてショウヘイがプレーすることを考えているのならば、そうすべきでしょうね。ただ、年齢のこともあるし、ベーブ・ルースも最終的には二刀流は諦めています。やれるのであればやって欲しいけれど、現実的にはいつかは諦めなければならないときがくるでしょうね」

 二刀流の実現を真っ向から否定するのは、地元紙、オレンジカウンティー・レジスターのジェフ・フレッチャー記者だった。

「5年後も二刀流を続けているか、と聞かれれば、それは『NO』だ。場合によっては2年後ですらムリかもしれないと思っている」

 その背景にはエンゼルスのチーム事情があるとフレッチャー記者は指摘する。

「恐らくチームはどちらか長けている方、例えば投手でメジャートップスリーになったとしたら、投手専任にするだろうし、もし投手で上位の30人、打者でトップの40人に入るなら高い方を取るだろう。ただ、いまはプホルスが一塁手と指名打者をやっているが来年、再来年になったら守備ができるかどうか分からない。そのときには指名打者はやはりプホルスになる。そうなると、いま指名打者で出ている大谷は、5年後はやっぱり投手だね。その頃にはおそらくメジャーでトップファイブに入る投手になっているだろうし、サイ・ヤング賞も狙えるはずだ。逆に5年後にバッターとしてマイク・トラウトのようになっているとは想像できないよ」

ベーブ・ルースになれるか?

 それではチームは大谷の二刀流をどう考えているのだろうか。

 エプラーGMに聞いた。

「我々としては大谷個人の数字はあまりみていない。チームとしては結果にフォーカスするというより、彼がやりやすいように、そして勝利に貢献できるように考えているということです」

 こう前置きしてエプラーGMは大谷の二刀流実現へのサポートは惜しまないと言う。

「私はどんなことにしてもオープンに考えている。その中でただ一つ言えるのは、僕としてはショウヘイにはまず優勝できるチームで活躍してもらうこと、やりやすくできること。そういう環境を整えて提供できるようにするのが役割だと思っている。その中で彼が個人の目標を達成できるように考えてサポートしていくつもりです」

 野球選手として成長するために大谷は、近年ではだれも挑んだことのない二刀流という道を選んだ。

「日々、勉強はしていますし、まだ何かを成し遂げたとか、そういう風に感じるのは早いんじゃないかとも思います。これからシーズンを戦って行くなかで、すごいなと思う部分があると思うし、逆に自分が成長していることを実感する部分もあるかもしれない。そこを楽しんで頑張りたいと思う」

 常識という壁を破らなければ、誰も見たことのない世界に行きつくことは絶対にできない。

 そうして最高を探して、この23歳は海を渡ったのだ。

「ショウヘイはショウヘイになる」

 ベーブ・ルースがメジャーでデビューしたのは1914年で、当初はピッチャー主体でプレーする合間に野手として出場していた。本格的に投打の二刀流に挑戦しだしたのは18年からで、このシーズンは投手としての登板は前年の41試合から20試合に半減する。一方、打者としての出場は逆に、17年の52試合から18年は95試合とほぼ倍増している。そしてこのシーズンに投手として13勝、打者として11本塁打をマークしているのである。

 しかしこのシーズンを境にルースは打者へとシフトしていく。

 翌19年こそまだ投手で17試合に登板して9勝をマークしたが、ニューヨーク・ヤンキースに移籍した20年には投手としての出場はわずかに一試合だけとなった。一方、打者としてこの年の本塁打は前年の29本から一気に54本と倍増。ここから本格的なルース伝説が始まることになる。

 その1918年から奇しくもちょうど100年後、大谷がメジャーという舞台に現れたのである。

 7回途中まで完全ピッチングを披露した4月8日のアスレチックス戦。試合後の米メディアの会見ではいきなり「今日が人生で一番のピッチングか?」という不躾な質問が飛んだ。

 一瞬の間。そして大谷の答えはこうだった。

「人生一番は小学生くらいのときです」

 まだまだ始まったばかりだ。その最高を求めて、大谷の二刀流への挑戦は続くのである。

 最後にエプラーGMにはこんな質問を投げかけてみた。

「大谷はルースになれると思うか?」――GMの答えはこうだった。

「ショウヘイはショウヘイになる。彼はルースではない。彼は彼でしかないからね」

 伝説はまだ始まったばかりである。