ベルリオーズとリストが同じメロディを使ってる、
どっちが真似っこしたんだろう?なんて、
なんとなく意識はしていたけれど、
もと歌は、グレゴリオ聖歌だったんですね。


リスト 死の舞踏 より 


ベルリオーズ 幻想交響曲より第5楽章
7分40秒あたりから、「怒りの日」のテーマが出てきます。



ウィキで調べてみると、
もっとたくさんあるようです。


ベルリオーズの「幻想交響曲」の第5楽章、リストの「死の舞踏」(Totentanz)に引用されてから「死」をあらわすものとしてクラシック音楽の作曲家によってしばしば引用されるようになった。チャイコフスキーの組曲第3番第4楽章、「6つの歌」作品16の第6曲「新しいギリシアの歌」、マーラーの交響曲 第2番 "復活"、ラフマニノフの「交響曲第1番」「パガニーニの主題による狂詩曲」「交響的舞曲」「鐘」「徹夜禱」、イザイの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第2番」、ハチャトゥリアンの交響曲第2番「鐘」第3楽章、アーネスト・シェリングの「戦勝記念舞踏会(A Victory Ball)」、ダッラピッコラの「囚われの歌」などが怒りの日の旋律を用いた音楽の例として挙げられる。


キリスト教音楽におけるディエス・イレ
出展:ディエス・イレ 第1回
ディエス・イレとは?-その起源と非宗教音楽への導入


 ディエス・イレ(Dies Irae:怒りの日)は、カトリック教会において死者のためのミサ(レクイエム)で歌われてきた聖歌の1つで、テクストの冒頭の語(旧約聖書ゼパニヤ書第1章15節に由来)によりこの名で呼ばれている。現在残っている最古の写本は12世紀以前のものであるが、テクストの最終稿はフランチェスコ会の修道士チェラーノのトマス(?-1255)によりまとめられたと考えている。テクストの内容は、最後の審判の日の恐ろしさの描写、審判者キリストへの哀れみを乞う2つの部分からなり、14世紀後半にレクイエムに取り入れられ、16世紀にはトリエントの公会議によって典礼書に規定された。
 ディエス・イレのテクストは、ミサの他の音楽と同様に、古くはグレゴリオ聖歌の旋律で歌われることがほとんどだった。これが有名な♪ドシドラシソラ(正確には第1旋法なので♪ファミファレミドレ)という旋律である。しかし、時代が下り、作曲家により独自の曲が書かれるようになってくると、ディエス・イレは、レクイエムの中でも作曲家の腕の見せ所として、劇的、描写的に作曲されるようになった。有名なモーツァルトやベルリオーズのレクイエムなどがその代表である。
 しかし、1970年代の第2バチカン公会議において、ディエス・イレは廃止された。歌詞の内容があまりにも最後の審判への不安や恐怖を強調しすぎるという理由であり、まじめなキリスト教徒にとっては、最後の審判は救いの日であることを考えれば、当然かもしれない。1970年以前にも、フォーレも同様の理由により、レクイエム作曲にあたって、ディエス・イレを省略している。


ヨーロッパの音楽家は、
♪ファミファレミドレ・・・♪の音の動きで、
最後の審判や、死をイメージしていた?
ぜんぜん知らなかった、
文化の違いって大きいです。