こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。
本シリーズではこの秋から冬にかけて、いつかは観たい、と漫然と思案している作品があればチャレンヂしてみようではないか。と提案している。
または、あの映画をもう一度!と希望してもなかなか実行できずにいる、などのケースもあるだろう。まあいずれにせよ、この秋にレンタル屋へと走ってみるのはどうか。
その一助となれば、と世間的に名画にカテゴライズされていると思しき長尺の作品にフォーカスしてピックアップしている。これらを観つつゆったりと夜を楽しんでもらいたい。
今回は、これ。
『2001年宇宙の旅』 2001:A Space Odyssey (‘68) 141分
梗概
人類創生から月世界に人類が住まう時代へと移行。月でモノリスが発見される。それは木星に向けて信号を送っていた。
木星探査に向かうHAL9000型コンピュータを搭載ディスカバリー号。そのHALが乗員を殺害し始めた。ボーマン船長はHALの回路を停止させる。モノリス調査中にスターゲイトが開きボーマンはスターチャイルドとなる。
観てのお楽しみ、ということで詳細はあえて省く。
これは2時間半弱ではあるが、劇場で観た時はインターミッションが挟まれていたはずだ。DVDではどうなんだろうか。
本作も『惑星ソラリス』(‘72)と双璧の“難解モノ”として周知されるSF映画である。
しかし、個人的にはちょっと困惑したが、なんとな~くスターチャイルド出現までのプロセスが分かるような気がした。
考えるな、感じろ!というわけではない。それなりに考える葦になってみたのだが。
でまあ、それはさておき、これまた面白い解説を読んだことがあるので言及しておきたい。大変に興味深いぞ。
スタンリー・キューブリック監督(公開当時はカブリックなどと表記されたりした)とメディア論のカリスマ的存在マーシャル・マクルーハンとの暗闘についてである。
猿人が放り投げた骨がスローモーションでゆっくりと宙を舞う。と、巨大な軍用宇宙船に切り替わる。これは映画史上稀に見る比喩的名場面として広く人口に膾炙している。
しかし、まだ続きがある。宇宙船は最終的に無重力状態に浮揚するペンとなって女性CAの手に収まる。
これすなはち、表現手段の道具であるところのペンに変化することにより、
本作がメディア論だとの宣言をしていると言うのだ!
こうしてマクルーハンの「メディアはメッセージである」という言葉に切り込んでいく。
マクルーハンはここでメディアは。と、メディアを主語にすることでメディアを擬人化した。
となると、擬人化した主語であるからには主体性が求められる。そこで主体性を持つメディアとして登場させたのがHAL9000だと言う。
*IBMを一文字ずつズラすと・・・HALに!*
その証左に、HALは死にたくない。との願望を示し、命乞いする。製造された直後に教わった歌を、デイジー♪と披露する。デイジー=雛菊。その別名が“延命菊”だそうだ。
まさしく死にたくない場面に相応しいアレゴリーだろう。死への恐怖を抱いてしまった人間のような主体性を持つコンピュータ。HALにとっての“薔薇のつぼみ”=原体験がデイジーに相当するのは言うまでもない。
こうして「メディアはメッセージである」と唱える世界がどうなるかを、キューブリックは提示したのである。人工知能に依存する社会。それは現在、或いは少し先の未来かもしれない。
となると、電子網が神経のように地球を覆って一つの村のようになるというグローバル・ヴィレッジを予見したマクルーハンは、世界規模のネットワークという点では的を射たが、明るい展望といった点は外れたことになろう。
現状を見れば一目瞭然だし、キューブリックはご丁寧にも『時計じかけのオレンジ』(‘71)で暴力が支配する未来の世の中を描いてみせた。
かくして、キューブリックVSマクルーハンの戦いは終息した。
どうだろう。一世を風靡したマクルーハン理論へのアンサーが本作だと言う理屈であるのだが。びっくりである。
個人的にはところどころ疑問符を付けたい箇所もあるが、妙に納得してしまった分析だ。
ただし、その要約がここに正しくなされているかどうかは少々心細く感じる。
このあたりに関心ある人は次には注意して観ると楽しいだろうし、初見の人もここにポイントを絞って観れば面白くもなろう。睡眠防止にも一役買うかも。
その後、70年代徐々にマクルーハンの影響力も退潮し、自身も脳腫瘍に罹って1980年に死んだ。
珍しいところでは、ウッディ・アレンが『アニー・ホール』(‘77)にマクルーハン本人を引っ張り出す一幕もあった。スノッブなニューヨーカーたちにはうってつけの素材だったのだろう。
ところで、既成音楽の使用を好むキューブリックだが、ヨハン・シュトラウス「美しく青きドナウ」やリヒャルト・シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」が効果的に用いられていて、クラシックを導入した監督のセンスの良さに改めて驚かされる思いがする。
特に後者はパロディ化されるほどによく知られる曲となった。
その他、ホラー映画の向こうを張ったかのような不気味な効果をもたらすジェルジ・リゲティの電子音楽が見事にマッチ。音楽単体で聴いても気味が悪い。
中には男女混声合唱仕様の楽曲もあるが、それも迫力満点の怖さだ。
現在、シネラマ上映館などもはや存在しないかもしれない。だが、昨年は50周年記念でIMAXシアターでの上映が実施されたのは記憶に新しいところだ。
自分はその劇場体験したことがないのだが、それもまた次世代の新技術として映画に貢献しているのは嬉しいとも思う。
この秋は『惑星ソラリス』と『2001年宇宙の旅』をダブルで堪能するよい機会となろう。
では、いと佳き体験を。
「ツァラトゥストラはかく語りき」→https://www.youtube.com/watch?v=g-B5Ykrjcfw
【参考データ】
第41回アカデミー賞
・特殊視覚効果賞 受賞
AFIアメリカ映画100年シリーズ
2008年:10ジャンルトップ10 SF映画トップ10 第1位
監督・脚本:スタンリー・キューブリック
『時計じかけのオレンジ』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』
脚本(キューブリックと共同):アーサー・C・クラーク
『幼年期の終わり』『銀河帝国の崩壊』
撮影:ジェフリー・アンスワース
『キャバレー』『スーパーマン』『テス』
ジョン・オルコット
『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』『シャイニング』
SFX:ダグラス・トランブル
『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』『ブレード・ランナー』
秋の夜長に観る映画シリーズ