こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。
「わらしべ長者」などといふ昔話があるのをご存知だろうか。大多数の方々が幼少時に親しんだと思われるのだが。
物語はゴミのような一本の藁を手にした人物が物理的な移動及び時間的経過に伴いその藁を別の物品と交換。ついでまた別の品物と交換。と言った具合に連綿と物々交換を繰り返し続けるうちに大富豪になる。みたいな物語だ。
で、今回取り上げるのは、手にした物が徐々に殺傷能力の高い武器と交換されていくといふ興味深い一面を具備したお話。
あ。ソン・ガンホに引き続きお父さんの悲哀もあり〼
『フォーリング・ダウン』 Falling Down (‘93) 113分
梗概
ビル・フォスター(マイケル・ダグラス)はLAの工事渋滞の行列に業を煮やして車を乗り捨てて歩きだした。離婚した妻が引き取った娘の誕生日に接見するために先を急ぐ。
韓国人の経営する商店では小銭の両替に応じてもらえない。ヒスパニック系のストリートギャングに絡まれる。奴らにマシンガンで銃撃されるも無傷。公衆電話で長電話するなと文句を言ふ男の眼前で電話ボックスを銃撃破壊。ハンバーガーショップでは朝食セットの時間が3分過ぎたゆへ提供してもらえない。軍の放出品を商う店舗ではナチ崇拝者の店主と一悶着。ゴルフコースを横切ろうとして老人と揉める。次いで豪邸の庭を横切る際に管理人家族を震え上がらせる。やっとたどり着いた妻子の家。自分を拒否する妻に殺意をもって近づく。無理心中を図るのか?だが、この日に退職するプレンダガスト刑事(ロバート・デュヴァル)が追跡し続け遂に追いついた。二人の男が対峙する。
*3分超過でモーニングセットは不可(怒)*
・韓国人の店で店主の護身用バットをゲット
↓
・ギャングからまずはバタフライ・ナイフ
↓
・さらにスポーツバッグ一杯の銃器類を奪う
↓
・サープラス物の店主からはバズーカ砲をもらう。
と、ロールプレイングゲームよろしく徒手空拳から次々とグレードアップしていく様がたんたんと描かれる。こうして振り返ると妙に可笑しいのだが、鑑賞中はちょっとその悪い冗談に気づかなかったりする。
そんな元夫の異様な一面を身に染みて知るゆへ過敏なまでに恐れる元妻。彼からの電話があるたびに不安になり地元警察を呼び出す。しかし、警察とて多忙。いちいち構っていられない。案の定警察が帰ってから彼がやって来る。
で、そこに飛び込んでくるのがロバート・デュヴァル扮する刑事。てな具合でクライマックスへと突き進む。
さて、この主人公の背景だが、1ヵ月前に軍需産業の工場を馘首。同居の母親には知らせず毎日出勤時間に出かけていた。
娘恋しさに会いに行こうとしたが、大渋滞と騒音と熱気と車中飛び回る虫にいらつき歩き出す。ここで彼の追い詰められた心情と神経質な一面が描かれる。
彼の部屋もきれいに整っており、母親が言ふには息子が自分でやっているとのこと。日常のルーティーンが確立されている模様。
そして、彼の立ち振る舞いはといふと、無表情で共感性に乏しく、一度思い込んだら固定され他者の意見は耳に入らないタイプ。
自分の思考の枠内に収まらないことは理解できず、かくあるべしといった自己の基準を強いる傾向アリ。よって、新しい状況や体制に対応し辛い面もある。知的なハンディは無し。
気に入らないことがあると我を押し通そうとしたり、衝動的にマジ切れしたりして他者を驚かす。
となると、お気づきの方もおいでだろうが、かなり偏りのある人物なのである。恐らくだが、発達障害で自閉スペクトラムの可能性大。家庭や職場での対人関係においてかなり生きづらい人生を送ってきたんだろうと思われる。
傍から見れば、無表情で何を考えているか分からないし、こっちの意見を聴かない自分勝手な奴に思えるし、ささいなことで怒りだすし、実に付き合いにくい人物だ。
かく言ふ私も発達障害に悩まされてきた経験上、主人公と周囲の人々の齟齬や困惑を一定程度は理解できるつもりなのだが。
面白いのは彼の見た目。ヘアスタイルは基本オールドスタイルである。メガネのフレームも旧世代に属する。
その彼が韓国人経営の店舗で何と言ったか。1965年当時の値段に戻せ。である。
彼の内なる基準では常々物価が適正でないとの不満が募っていたのだろう。おまけに、米国で商うならちゃんとした英語で話せ。と言ふ。移民が目立ちおかしな奴らがのさばっている。とのイライラもあったんだろう。
その後ヒスパニック系のギャングどもに、英語で書いてあれば読めたのに。とも言ふ(ちょっと気づいたのは、店主と格闘する際に小さな星条旗がちらりと写り込んだこと)。
だが、決してレイシストではないのも面白い。放出品店の店主がとんだナチ野郎で、黒人とユダヤ人そして同性愛者を憎悪しているのだが、彼は自分は違う。と明言する。
どうやら主人公は愛国者として健全な矜持を抱いているようだ。国防のための軍需産業に携わっていることも誇りだったし、ナンバープレートも“D-フェンス”である。
そして自由の国であるゆへ、信仰の自由も尊重されるべきと理解する。ので、黒人でもユダヤ人でもことさら蔑視してはいない。
それなのに。と忸怩たる思いもある。何故真面目に働いてきた自分が失業するのか。何故娘に会わせてもらえないのか。世の中間違っている。刑事に尋ねる。俺は悪人なのか。と。ここにも彼特有の思考回路が露呈する。これには哀れを感じてしまった。
このようなキャラ立ちのよい主人公が彼独自の正義を貫く姿はブラックな笑いを誘う。彼が行く先々で主張する言葉に耳を傾けると社会風刺の棘が見え隠れするし。
と同時にやるせなさもつきまとう。我々から見れば破滅への一本道を驀進中でしかないのだ。
ところで、やはり米国民的規範らしいなあと感ぜられる場面もところどころある。
刑事は精神的に不安定な妻からの電話に辛抱強く優しく応対するが、ついに感情を露わにする。仕事だっつてんだろ。飯の支度しておけ!みたいに。
また、“事務屋”呼ばわりされていたが最後はちゃんと銃を撃つ。
男はやっぱりマッチョでなきゃね!
まさに「男はタフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない」を地で行く描写で少しく笑った。
実は元夫と刑事は非対称の相似形であることに気付いたりもする。
移民問題に取り組むトランプ政権の現在においてこそ観直すべき作品ではないかとも思えるのであった。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
*(失業中の)お父さんの悲哀でもある*
監督:ジョエル・シューマッカー
『セント・エルモス・ファイヤー』『ヴェロニカ・ゲリン』
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
『プリティ・ウーマン』『ハンガー・ゲーム(シリーズ)』