あまりにもポリティカリーな大島渚『絞死刑』 | 徒然逍遥 ~電子版~

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こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
訪問ありがとうございます。

 

かつてATG(日本アート・シアター・ギルド)という映画会社が存在感を示していた時期があった。

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海外作品の配給から始まり、「一千万円映画」と呼ばれる低予算の映画製作をも手掛けたりした。独立プロダクションと予算を折半する方式だった。

寺山修司『田園に死す』の配給元でもある。

 

大手の松竹から独立した大島渚も世話になった一人である。

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絞死刑-4 *まさに“大島組”の面々がずらっと居並ぶ*

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絞死刑-6 *大島夫人・小山明子*

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『絞死刑』 (‘68) 117分

梗概

在日朝鮮人Rは二人の女性の強姦殺人罪の死刑囚。絞首刑が執行されるもぶらさがったまま脈が途切れず存命。意識を取り戻した時には記憶喪失状態に。

受刑者が心神喪失状態にある時には執行を停止しなければならないという法律により再執行が滞る。

拘置所長以下7人の関係者がRの記憶を回復すべく悪戦苦闘する。生命を断つという目的のために…。

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クレジット部分は全くの無音状態。タイトル後、冒頭いきなり字幕で死刑制度賛成・反対の問い掛けがなされ、アンケート結果が提示される。ここも無音。

そして航空撮影とともに大島自身のナレーションで、拘置所に付随する死刑場のロケーションと内部構造の解説が懇切丁寧になされる。

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施設内では丁度Rの刑が執行されるところであり、ここもその進行の手順と様子が実に分かりやすく解説される。当然と言えば当然だが、観客もその刑に立ち会うカタチとなる。

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絞死刑-23 *教誨師:石堂淑朗*

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人の首吊りがたんたんと描かれ、あまりにもリアリティ溢れる刑執行場面なので、そう簡単に死刑制度賛成、と言へないような気分にならせる。これはよく考えなきゃなあ、と思わせるに十二分に足るショックが与へられる。

お気付きの通り『絞死刑』といふのは大島の造語。「絞首刑」に似た響きと字面である。

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絞死刑-32 *中央左)検事:小松方正、中央右)拘置所長:佐藤慶*

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絞死刑-50 *R:尹隆道*

 

で、ここからRの記憶を回復させるための奮闘記がスタート。

メモ書きのようなショットが随時7回挿入され、7章から構成されることがわかる。

第一章

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絞死刑-54 *左)医務官:戸浦六宏、中央)保安課長:足立正生*

 

第二章

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全体を通じ戦後の在日朝鮮人に対するステレオタイプの認識や、国家とは何か国家によってなされる戦争・死刑と個人による殺人の違いは何か、といったテーマが浮上する。

登場人物たちが皆戦争の影を引きずっているのは、戦後20数年という時代を感じさせるし、戦後の繁栄にともない隠蔽されてきた前述のテーマのせいでもあろう。

 

極めて政治的色彩に彩られたフィルムであることは自明だ。なので、本作の批評は自分にとって荷が重すぎるゆえあまり深く立ち入らないでおきたい。

かいつまんで見どころだけを紹介しておく。

 

巻頭導入部はドキュメンタリータッチで構成されるのは見て来た通り。

で、第三章ではRの記憶回復のために役人たちが寸劇を演じる羽目になる。強姦殺人の犯行再現やRの家庭の再現だ。

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ここはバーレスク調でブラックな笑いが湧きあがる。どうしても自分をRと認識できないR。

寸劇が演じられる中、部屋の奥の壁には大きな日の丸が掲げられている。そしてこの場で国家を象徴する検事は固着したような表情で情景を眺める。

絞死刑-66 *中央)検察事務官:松田政生*

絞死刑-68 *右)教育部長:渡辺文雄*

絞死刑-69 *Rの父母に扮した小芝居*

 

第四章に入るとRは外界へと赴き、彼が夜間部に通学していた高校へと至る。一同はぞろぞろと附いて行く。屋上で犯行の再現が教育部長によりなされるが、勢い余って少女を絞殺してしまう。慌てる御一行。現実と想像世界の境界が曖昧に。

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絞死刑-77 *検察官の背後に国家が控える。の図*

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絞死刑-79 *Rの家庭環境を再現する寸劇*

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絞死刑-100 *拘置所内から・・・*

絞死刑-101 *娑婆へ*

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絞死刑-105 *かき氷屋の壁にも*

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すぐに第五章となり、Rの想像の世界から再度施設内へと帰還する。のだが、死体も一緒だ。ところが彼女は朝鮮の伝統的衣装チマ・チョゴリを着た別人として起き上がる。彼女に向い親しげに「姉さん」と呼びかけるR。

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 *そこに死体がっ*

 *見えませんか?*

 *見えた!*

 *見えない人は首吊りです*

当初は教育部長しか彼女を知覚できない。だが、次々と他の人物らにも「姉さん」の姿が見えることになる。が、国家を代理する検事だけは最後まで見ることがない

許可なく刑場に入るべからず、との指示を出し彼女は絞首刑に処される。と同時に姿が見えなくなる。

 

第六章では役人たちが一息入れて、あろうことか刑場施設内で酒宴を催している。お馴染み大島特有の宴会場面だ。

ここで彼らは戦争体験を通して、なされたこと全ては国家のためだったという安住の結末に逃れていく。

 *何故か日の丸と共に*

 *『ユンボギの日記』を連想させるショットが*

●ほくとさんのブログ→大島渚作品 映画「絞首刑」「ユンボギの日記」:参照

 

第七章でRはついに検事と直接対峙する。

国家論の応酬の結果Rは刑を受け入れ刑執行される。が、その刹那彼の姿も消え失せる。

この対決場面はドラマの白眉ともいえよう。

 *R消滅す*

ざっとこんな感じで物語は進行する。

 

製作されて以来半世紀余り経過した。恐らく様々な解釈が与えられているのだろうが、難解なフィルムであることは確かだ。しかもあまりにもポリティカリーなフィルムであるゆえ、議論百出したことも想像できる。

だが、現在でも鑑賞に耐え得る普遍性を秘めた作品だと思う。

 

最高裁で死刑判決の再審が認められるなど、死刑制度について今後も議論が続きそうだし。

加えて韓半島との関係が冷え込んでいる昨今でもある。

大島が存命していたならどんなメッセージを込めたフィルムを撮りあげるだろうか。

 

本日も最後までお読み下さりありがとうございました。