『すごく寒い話』 | 学力工房 講師のつぶやき

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どうもこんにちは。
学力工房の若子です。


今日は『すごく寒い話』。

ジョン・フランクリン、アドルフ・ノルデンショルド、ロアール・アムンセン。これらは全て人名ですが、さて何を成し遂げた人たちかご存知でしょうか。
もし地図帳をお持ちならば、索引で彼らの名前を調べて見て下さい(小さい地図帳だと全ては載っていないかもしれませんが)。フランクリン島、ノルデンショルド諸島、アムンセン海峡などといった名前が見つかるはずです。彼らの名前と業績は、その土地に久しく刻みつけられています。
彼らは探検家、それも世界地図の中で最後まで空白であった北極海沿岸の探査を行った人たちです。今から200~100年ほど前の話です。現代から見れば決して十分とはいえない装備と知識で、半ば氷結した海へと彼らは漕ぎ出したのでした。

学力工房 講師のつぶやき。。。-ノルデンショルド (ゲオルク・フォン・ローゼン作)
ノルデンショルド (ゲオルク・フォン・ローゼン作)

北極は、少なくとも、人間にとっては快適な土地柄とは言えません。雪、氷、寒さといった点でもそうですし、現地での物資補給の困難さといった点でもそうです。
中でも当時の航海者を苦しめたのは流氷でした。周りを氷に閉ざされ3年の間身動きが取れず、餓死者が出たようなケースもあります。あるいは当時の木製船の耐久力を上回る圧力が氷によって加えられ、船が木っ端微塵ということもありました。
そんな場合、戻るには極北の地を徒歩で踏破するしかありません。あたりは雪また雪、氷また氷の世界ですから、無事に戻るには奇跡が必要でした。フランクリン隊、ハドソン隊を襲った悲劇についてはよく知られています。

そのような極めて困難な探検に、彼らはどうして乗り出したのでしょう。

最大の要因は当時の国際情勢です。帝国主義といって、当時の列強諸国は自国の勢力圏を少しでも拡大しようと熾烈な競争を繰り広げていました。北極海ルートが開拓されれば極東への最短経路が開かれます。食物の保存技術や造船技術の進歩とも相まって、19世紀には盛んに極地探索が行われたのです。
一方で、探検家それぞれにも個人的動機が存在しました。もし新航路を見つけることができれば、栄達は思いのまま、その名はコロンブスやマゼランのように歴史に残ることでしょう。その発見の歴史的影響力の差からなのか、現在では過小評価されている彼らですが、その当時には帰還に成功したものは大いなる名声を得ています。例えば史上初めてロシア北岸経由でアジアに到達し、日本にも立ち寄ったノルデンショルドの成功(1879年のことです)は、瞬く間に世界中に伝わって満場の喝采を受けたものです。そして彼の名は、今も北極海のある群島に冠されています。


彼らは自らの命を賭け、その報酬として不朽の名声を得ました。


人生は時に賭けねばならぬものです。受験、就職、結婚・・・局面が重大であればあるほど“賭け”の要素が出てきます。見返りが大きいほど賭け金が大きくなるのは自然なことでしょう。

今日から都内では入試が本格的に始まりますが、受験生の皆さんも、賭けた分だけ配当を得ることになります。賭け金が足らないと思う人は、今からでも積み上げておくように。