どうも滝汗随分と前の記事から時間が経過してしまいました。

こういうのって『誘い受け』って言うのでしょうか?

身体に、心に、家庭にと、大映ドラマのようにあれこれ押し寄せる日々。痛みをこらえながらも記事を書いていても、翌日には事態が激変して「書き直しじゃんゲッソリ」とまた書き直ししては状況が変わりと、賽の河原で小石を積んでる気分でした。(いや、現在進行形かチーン

 

 

で、前回の続き…どう書いていいのか今も悩んでいます。

まずは世界に一つしかない私の検査画像を添付します。病院にお願いしてデータを頂きました。素人の私が余計な事を書くより、事実を出した方がいいのかと。

ただ、データが膨大なんです。CD2枚に二千をはるかに超える画像集。添付するのは私が医師から説明を受けたであろうハズの画像だと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画像の右上部に全体には無い緑と言うか白っぽい光が見えてきています。PET画像なのですが検査して数時間後、主治医が「乳がん見つかりました」宣言の発端になったものです。(たぶん)

 

 

で、前回のブログ記事UP後、色々と山あり谷ありカラスと戦ったりとある中で、思うことがありました。

「私は他の方とは違う様々な既往症やら現在進行形の病、そして未だ原因が特定できない病も抱えていること。家事も通常時の五分の一も出来なくなっていること…諸々」

ここのブログに来た方の中には『乳がん』のワードで、藁にも縋る思いで偶然来た方もいると知りました。同じ病を抱えていても、生まれ持った肉体や育ったり現在の置かれた環境、治療方針やら(私に関しては)既にあれこれ投薬をされていたりと、簡単に比較されて一喜一憂されたり、私の不用意な言葉選びで適切な医療を受けるきっかけを失ったりされては困るのです。

 

現実にこの画像が決め手となり、特養300人待ちだった私の同居していた母は、ケアマネ・母の主治医・その病院のソーシャルワーカーさんらの判断で「あなた自身、自分の生活もままならないのだから。介護なんてあり得ない。」とあっさり特養に入居することにもなりました。それだけこの画像の結果は重かった。いや、これ以前に難病の方で保健センターの方からも「介護なんてあり得ない!」と驚かれ、役所として動けることがあれば何でも相談を受けるし、対処もしますからと言われてました。それでも母の介護から逃れられなかったのに、この画像が今、私を休ませてくれる結果を導いてくれました。

 

私は常に人生に置いて「良いことではない側の少数派」に振り分けられることが多かった。特に病気に関しては。

そんな自分が医学知識も無いのに事実だからとあれこれ書くことによって、他の方の人生を「良いことではない側の少数派」に導くことがあってはならないのではと、前回の続きを書くにあたりずっと考え悩んでいました。

 

医師から「○○でした」と言われても、翌週には違う診療科で新たな検査の結果で、その文言が覆されたりと多分、私に近い人でも今現在の私の実情を知る人は、私を含めていないんじゃないかと。これだけ状況が変わる中、この件に関して常に正確に人様に情報を伝達する自信、無くなりました。

 

 

今、私が断言できるのは…

取りあえず今、生きています。包丁も握れなくなり娘が仕事先から昼に仕出し弁当を買ってくれて、それを亭主や娘の晩御飯として生活しています。

病院も通っています。診療科目は今後、増えることはあっても減ることはないです。キツイ薬の副作用で眉毛が無くなり細書きマッキーで眉毛を書いたら、死ぬほど笑いました笑い泣き眉毛の入れ墨?があるらしいけれど、私は年に何度も頭部のCT、MRI検査が必要なので出来ません。いや、今更普通の眉毛になったら怪しいし無くても自分が気にしないからいいし。

 

 

何だか、とりとめのない話になってしまいましたが、少しずつまた動きます。

心配してくださった方々、ありがとうございます。

心身共にキツイなって時も皆さんのブログを読んで元気を頂いてました。

 

今後ですが、ぼちぼち出て来ます。ウインク