さて。

 

前回まで娘の作文を転用していたけれど、別に自慢とかじゃなかった。(あの内容は自慢に値しないって、ここの読者なら分かるだろうしチーン)実は娘に対して素人の私が施した「国語力・作文力」の対策をこのブログに記してみたくなったからだった。

と、言っても専門の何かに通わせたとか、通信教育で学ばせた訳ではない。

 

あ、ここまで書くと、ベラベラと能書き書きまくって最後に何かを買わせるとか思い浮かべそうだけど、一介のBL好き主婦にそんなスキルもない。あるのは娘が小1から高2まで内閣総理大臣賞始め知事賞2回に市長賞、読売・朝日・毎日・産経新聞社の表彰状もトップ含めて上位入賞で頂いた実績。

情緒障害を持って療育受けて育った娘が、素人の親と手探りでここまでどうやってやって来れたかを、書き記したくなっただけ。お代はいりません。ここに全て書くから。

 

今更、こんなことを書こうとした理由、やはりあの事件かな。

我が子を虐待死させた、その幼子が悲しすぎる文章を残したというあの事件。

あんなこと、書かせてはならんのよ。

文字を覚えた子どもって、もっと自由闊達に文字を楽しまないと。

自分が知った文字を組み合わせると、嬉しいことも楽しいことも世界中の誰かと共有できるツールになるんだって親が教えずにどうすんだって。

本当に泣けた。あの親、叩きのめしたい。だからここでノウハウを出そうと思った。

文章の天才なんていらない。文章を楽しむために、親やジジババ、身近な人が一緒に楽しみながらできることを羅列になるけど、書いていきます。

 

牛しっぽ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛からだ牛あたま

 

娘が小学校入学前のこと。

近所に公園があって試される大地の公園には、必ずと言っていいほど山が存在している。それは冬に子供たちが(ミニ)スキーを楽しむものなのだと人づてに聞いた。で、冬になってこの小さな禿山に雪が積もると、私はいつも嫌な光景を見る事となる。

「ちゃんとやりなさいっ!何でできないのよっ!!」

公園に怒号が響く。

小学校に入学すると、生徒たちは体育の一環としてスキー授業を行う。試される大地に生まれ育っていても、やらない限りは出来るはずもなく。でも、出来なければ成績にも響くし、親は格好も付かない。で、親がコート等着こんで雪山の下で、怖い顔して腕組みをして睨んでるのよ。上手にスキーで滑ることの出来ない我が子を。そして怒鳴る。

 

「ちゃんとしなさい!」

スキーを始めてやる者に、手本もなくコート着こんで腕組みしている親が怒鳴るだけで、子どもに何が伝わるんだろう?子供を持つ前から、私はずっとこの光景を見続けて胃が痛かったし、親に飛び蹴りくらわしたいくらい腹も立っていた。

命令する親が汗ひとつかくことなく、我が子に何を伝えられるんだろうか。

疑問は私の中で周回ごとに大きくなっていく。

で、そんな私が子供を持った訳だけど……

 

娘は3歳前に自閉症と告知された。知的にも遅れかあると言われた。

色々とあってすぐそばにあった小学校の普通学級に入学したけれど、親としてはその頃、勉強の遅れはなかったものの、学校で迷惑行為をしたなら即刻、〇〇学級に移すと私たち側から申し出ていた。我が子の『学ぶ権利』は大切だが、それと同等に他の子どもたちにも『学校で学ぶ権利』がある訳で、我が子のことに目がくらんで他人の子供の学ぶ権利を侵す愚かな親にだけはなりたくはなかった。この点は夫婦で同意見だったのが救いだ。

 

で、ここからが国語力に関する話なんだけれど……

まず、娘には国語の教科書の模写を必ずさせた。他にもそこそこの長さのお話をチョイスして、徹底的に模写させた。

でも、その模写はノートに事前に私がマーカーの細い方で既に書いておいていて、最初は娘はそれをなぞり続けた。娘が模写している間、私はテーブルを挟んで一緒に座っていて次の課題を作成する。親がマンガの本読んだりしながら子供に「勉強しろ」って自分の中ではあり得なかったから、当然のようにこうなった。幼いころから自転車に載せて毎回、違う公園に行ったりもしたが、娘は次第に外で遊ぶよりも自宅で亭主のお古のMacを使い遊ぶことに目を輝かせた。それを見ていて私たちは、無理に「健康的だから」と娘の特性や好みを無視して外に連れ出すことをしなくなった。全く出ない訳ではなかったが、学校から帰宅したら、自宅で遊ぶことを好む娘の意志を尊重した。家でもあれこれすることがあって、退屈することはなかった。

 

で、この模写だけど一体、どんな効果があるの?と思われるかも。やってみた自分も半信半疑だったけど、実は人様に見せる様な体の整った文章を羞恥心なく平然と書く訓練になっていた。

普通、照れるんじゃないかな?学校で友達とワイワイ騒いでいるのが、作文や文章を書くときに急に改まって「〇〇だった」「〇〇ではないだろうか」なんて。その照れを排除するにはもう、ちゃんとした文章を模写するのが一番と考えた訳。ふたりで教科書や本を読み合ったり、模写するうちに、娘は改まった文章を書く気恥ずかしさは消えていた。で、ついには小学校1年で、彼女の人生を左右することになる某作文で最優秀賞を受賞することとなった。

 

大体、娘が通っていた学校は市内でも給食費未納率が常に上位であり、親の民度も良いとは言い難い所だった。宿題の作文でも出さない子が結構いるのに、自ら進んで作文を書いて来て、先生も面倒で添削作業を全くしないで送り出したら一番だったから、先生方も大騒ぎになっていた。全校生徒の前で表彰状を授与された娘。お気に入りだったかわいい服を着せて送り出したが、娘はそこで『成功体験』を全身で感じていたようだ。(先生方も大いに褒めてくれたことも大切だった。ただし、その後……)

 

ここから、娘の作文大進撃が開始された。

下矢印気持ち的にはこの曲。

 


 

取りあえず続く。