数年前、肺に腫瘍が見つかって入院となった時のこと

 

 

四人部屋。前のベッドには私より4歳年上の方がいた。

痩せていて顔色も良くはなかった。あまり喋ることもなく静かな人だった。

後に彼女は静かな人なのではなく、肺がんで喋るのがしんどかったのだと知った。

 

PC持ち込みOKでネットし放題のこの病院は、私にとっては最高の入院場所であり、苦痛を伴う検査や治療が無ければ自分的には居心地のいい場所でもあった。

私は部屋の住人があまりに皆静かで、ネットに精を出す日々だった。

何がきっかけかは忘れたが、私はお向かいさんと話すことが出来た。

「ガロって知ってる?」

PCに向かって腐れ小説を執筆していた私の前に彼女は、そう言いながら立っていた。

慌てて私は執筆中のそれを何気ない風に閉じ、顔を上げる。

残念ながら彼女の言うガロが、私には一つしか浮かばなかった。そう、あの超個性的な雑誌のガロだ。

「特撮のガロ。ガロの“ガ”は牙と書くの……」

この日、私は年上の彼女から特撮の『牙狼-GARO-』の存在を教えてもらった。

「こんなおばさんが若い人向けの特撮が好きなんておかしいでしょう?」

彼女は少し照れながら言う。

「とんでもない!!」

私は自分もウルトラマンや仮面ライダー、ジャイアントロボなど今も特撮を引きづったまま(亭主は拗らせたと言うが)大人になってしまったことを伝えた。彼女は自分が面倒なことを言ってはいないかを気にしていたが、私は寧ろ、この年代の女性を虜にした牙狼が気になって仕方ない。無理がかからぬ程度に私は彼女から牙狼のことを教えてもらった。

「主役の彼が好きでね。息子はいないけれど、こんな息子がいてくれたらなって思って。こんな息子が『母さんの病気なんて俺がやっつけてやる!』って言ってくれたら……」

ご主人を早くに亡くし、娘さん二人を育て嫁に出しひとりになった時、偶然深夜番組として放送していた牙狼を見て以来、彼女は牙狼と共に生きていると笑った。

私だってこの世の憂さをSPの岡田君や堤さんですっ飛ばして今を生きている訳だし、昔見た特撮も自分の中で今も確実に息づいていて、自分を構成するひとつになっている。病気で苦しい時も、肺まで挿管され肺を水ですすいで、その水を抜く検査や肺の生検なんて死ぬほど苦しかった検査時も、心の中で私は亭主や娘ではなく岡田君へ「助けてくれよぉぉぉぉ」と祈ってた。だから、彼女の気持ちはそれなりに理解は出来ていたつもりだった。

彼女が午後の検査に行き、午前に検査を終えた私はネットで牙狼を調べまくった。

 

夕食を終えて消灯までの時間。私は彼女の元へPCを持参し牙狼に関するものを見せてあげた。彼女は「嬉しいっ!!!」と、驚くほどの大きな声をあげた。

作品も好きだけど、主役の彼も好きで個人的なファンクラブのような所にも名を連ねているのだと、笑顔で話す。(この時初めて知ったのだが、牙狼の監督が雨宮慶太で『鉄甲機ミカヅキ』を亭主と楽しんで見ていたので、親近感を持てた)

ネットをやらなかった彼女は画面に次々と出て来る牙狼や主役の彼の姿や情報に、笑顔を絶やすことはなく、消灯時間までふたりで頬を寄せながらモニターを見続けた。

それから二日後、私は検査を終えて退院となった。

「情報とか印刷してくるからね」

彼女はうんうんと頷いてくれた。

 

病身での帰宅であり、私は次の外来である退院一週間後に病棟の彼女を訪ねた。彼女は退院の目途もないと言っていたので、私は茶封筒に何十枚もの牙狼の資料を手作りし、それを携えていた。でも、彼女にそれを渡すことは叶わなかった。彼女を探して病棟をうろついていた私に、食堂で顔見知りになったおじさんが「あの人ね、容態が急変して亡くなったよ」と教えてくれたのだ。

「私はどうして退院翌日に、これを持ってここへ来なかったんだ」

心の中で私はこの言葉を幾度も繰り返した。私はこれを手にしてふたりで笑えることを微塵も疑っていなかった。

手にしていた牙狼の封筒が一気に重さを増した気がした。

 

 

「いい年したおばさんが特撮ファンなんておかしいでしょう?」

あれから何年も経った今も、彼女のその言葉が耳から離れない。

彼女は若いその主役の彼のルックスだけではなく、ストーリーや様々な作品に関する知識を驚くほどに持っていた。私は『ガキの使い』で板尾ファンになったが、彼女は牙狼をきっかけに板尾のファンになっていた。

 

小学生の頃、夏休みになるとテレ朝(当時のNET)では午前中にアニメと特撮二本立てで放送してくれた。

共稼ぎの両親は朝5時には仕事場にいる。夏休みの旅行なんて異国どころか異星のできごと。私は菓子パンと共にアニメと特撮で、自宅の扇風機前で長い長い夏を乗り切る。それが不憫なんて思うこともない。何度見てもロボも仮面ライダーもウルトラマンも、私の心に染み入った。その心の隙間に染み入ったものが心を盤石にし、私は時にそれらに助けられながら生きている。思い出は勇気をくれた。

「それ、私も好きなんです」

と、初対面の相手に言える勇気を。

 

 

ネットの弊害なんて言葉を数えきれないくらいに聞いたし、娘にも伝えた。

けれども、あの時、誰とも共有できなかった自分のアニメや特撮への思い、後の特捜最前線やSP、腐った方面の作品等……今はネットで容易く思いを共有できる相手を探すことが出来る。何て幸せなことなんだろうと心底思う。

 

 

いつか自分が彼女と同じ境遇になったとしたら……

私は誰に、どのヒーローの勇姿を語っているのだろうか。