大好きな京都を幾度か訪れ、そして今回、福岡の太宰府天満宮の飛梅の前についに立つことが叶いました。身の引き締まる凛とした雰囲気の中、樹齢千年を越える飛梅を前にして、自分にはあの二人が時空を超えて佇んでいるように見えました。

賑やかな京の都から、あの関門海峡を命懸けで渡り、太宰府へ送られた道真。

それを一夜で追いかけたと言う、道真に愛された白梅。

全てをこの目で見て、感じて話を書いてみたくなりました。

『海蛍』のような長編にはなりません。史実に基づき、都合よく改変ありのお話です。

道真公はあの「おーい、誰かぁぁっ!」の大佐、白梅の精は衛生兵だった彼を想定しています。

と、言うことで、『飛梅』に関しても、お付き合いの「いいね」はご辞退しますので、堅気の内容の時にでもまた、お相手ください

では、はじまり、はじまり……

 

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千年を超える命懸けの恋物語

 

京の都に菅原道真という者がいた。
平安の世において、時の天皇にも重用されるほど身分高く、学者でもあり漢詩人でも
あった。文武で世に名をはせてもなお勉学に勤しみ、学者として最高の位である
『文章博士(もんじょうはかせ)』にもなった。

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『月夜見梅花
月輝如晴雪 梅花似照星
可憐金鏡転 庭上玉房馨』

これは、道真が幼少のころにつくったとされる漢詩である。

「今夜の月の光は、雪にお日さまがあたった時のように明るく、
その中で梅の花は、きらきらと輝く星のようだ。
なんて素晴らしいのだろう。
空には月が輝き、この庭では梅の花のよい香りが満ちているのは。」

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この詩が表す通り、幼いころから道真は梅の花が好きだった。
中でも気高く、青き空でさえ己を引き立てる脇役にしてしまう白梅を道真は敬愛した。
白梅の美しさは道真の感性を無限に広げ続けた。

 


「道真様の梅花を愛でる心に敵う者は、京の都はおろかこの世にはおらぬだろう」
「特にこの白梅。道真様が大層、愛でておるわ」
「愛でるだけではなく、こうして誰もが立ち止まる程に美しく育てた道真様は、誠に
梅と心通わせることのできるお方ぞ」
道真が大切にしている白梅の前には、花が咲く頃になると多くの者がやって来る。
そして、白梅の美しさに誰もが時や俗世の憂いを忘れ、ただ見惚れる。

「おぉ、道真様。ささ、こちらへ」
道真の姿に気付いた者の声に、皆が白梅までの道を開ける。
いつも難しい政ごとで疲弊をしている道真も、咲き誇る白梅の前では頬が緩む。
「今年もまた、一段と素晴らしい花をつけましたな」
その言葉に道真は嬉しそうに頷く。
「人の心は移ろうけれど、この白梅は嘘は申さぬ。
私が心血注ぎ愛でた分、こうして心を花で返してくれる」
道真は嬉しそうに幹へそっと手を添え、優しく撫でる。
道真の手に応えるかのように白梅が揺れた。
「おい、見たか!今、確かに風もないのに梅の花が揺れたぞ!?」
驚き目をむく者達が声を上げる。
「何も不思議はない。丹精込めて育てた道真様のお心に、梅の木が応えたのよ」
子供相手の戯言のような言葉に、皆は納得したように頷いた。
「今宵は道真様が右大臣に任じられた、祝いの宴。
愛でられたこの梅も、花を震わせ喜んでいるのでしょうな」


「宴の支度が整いましたぞ。
皆様、風邪をひかぬうちに早うこちらへ」
その言葉に皆は素早く梅を背に歩き出す。
ひとり残った道真は、幹に触れながら頬を寄せ語りかける。
「右大臣の身分よりも、お前に触れ慈しむ時間が私には欲しいと言うのにな……」
目の前の枝に咲く一輪の白梅に軽く手を添えると、道真はそれを唇にあてた。
「愛おしい。何にも勝り愛おしい。その姿も香りも全てが愛おしいぞ。
そう、お前に名を授けよう。
生まれつき身体にえもいわれぬ芳香を帯びているお前を『薫』と呼ぼう。
薫、薫だ。お前は今日から薫だ」


「道真様、支度が出来ておりますぞ。早う、こちらへ。
右大臣の祝の宴に肝心の右大臣がおらずば、話になりますまい」
困ったような表情を浮かべながら、道真は後ろ髪を引かれる思いで、何度も白梅を
振り返りながらその場を立ち去った。
風もないまま白梅が微かに花を揺らしていたことを、道真は知らない。

 

 

「風もないのに花を揺らすなんてお前、私たちのことが知られたらどうするんだよ」
同じ道真邸の庭に根を下ろす風格ある桜が、半ば呆れたかのように言い放つ。
「お前、道真様に名前を貰うなんて生意気なっ!
大体、この庭でお前が一番の新参者なのに、どうしてお前だけいつも
特別扱いなんだよっ!」
桜の横に根を張る松が、尖った葉を揺らしながら文句を言う。
「何が新参者だよ。お前、この白梅よりたった三月(みつき)だけ早く、ここへ
植えられたんだろうが。妙な先輩風吹かせるな。
私から見ればお前も白梅も同じ新参者だ」
桜の言葉に、松は憮然としながらも黙る。
このように去年も道真の寵愛で桜と松が揉めた時、桜はその怒りを春まで腹に
溜めていた。そして、自らの花が散る頃、己に巣食った大量の毛虫を風の頃合いを
見計らい松に向けて降らせたのだ。
潔癖な松は狂わんばかりに恐れおののいた。
以降、松は桜に逆らうことは無くなった。


「あ、あの。私のために申し訳ありません」
今にも消えそうな鈴の音のような声。
それは白梅の精だった。

 


道真がここに居を構えることを決めた時のこと。
梅に格段の思いを寄せていた道真は、自宅の庭に相応しい梅を京の都中、
探し回った。
忙しい身でありながらも、素晴らしいと言われる梅の話を耳にすると道真は
馬で遠出してでも梅を見に行った。
そしてついに、運命とも思える見事な白梅との出会いを果たした。
2月上旬、都から外れた隠れ里。老夫婦の住む庭先に清楚な香りを漂わせ、
花びら一枚一枚から光を放つかのようにその白梅は咲いていた。
道真は一目で白梅に心を奪われた。
子のない老夫婦が、我が子を慈しむように育てた樹齢25年の見事な白梅。
若木ながらも気高く凛々しさを兼ね備え、その花には神々しささえ漂っている。
しかし老夫婦は自分たちが亡き後、この白梅がどうなるのだろうかと思うと心配で
夜も眠れず夫婦で泣く日もあると道真に訴えた。
穢れを知らぬ真白な花びらにそっと手を伸ばす。
道真の鼻腔を擽るその香りは、これまで嗅いだどれだけ高価な唐の香よりも
素晴らしいものだった。
思わず道真は白梅に口づけをした。
「そなたはこれまで、この夫婦に我が子のように慈しまれ育てられたのだろう。
私はそなたが欲しい。ひと時たりとも離れたくはない。
私の手が、目が届く所でそなたを愛で育てたいのだ。
我が身のように、いや、我が身以上に慈しみ大切にすることを誓おう。
そなたが望むのならばこの場で千の、万の誓いを立てようぞ。
私の元へ来てはくれぬか。私と共に都で生き、私の心を癒してはくれないか……」
道真は白梅を抱きしめ語り掛ける。
「おおっ、何と恐れ多い。
道真様のこの白梅を慈しむお気持ちに、私共は安堵してこの白梅を託します」
老夫婦は道真に白梅を譲り渡すことを約束した。


老夫婦との約束から三日後、道真自身が樹木の学問を専門とする者と土木作業を
行う者達を引き連れ、老夫婦の元へやって来た。
白梅に負担をかけてはならないと、道真は最大限の配慮をしてのことだった。
「よく聞くのだ。白梅は如何なることがあろうとも、傷ひとつつけてはならない。
些細なことであっても樹木の専門の者に質疑をし、確認をしてからことを起こす
ことを厳命する。よいな!」
道真の言葉に皆が大きな声で返事をした。
白梅は道真の立ち会う前で丸二日をかけて、老夫婦の庭から根を離した。
「道真様、どうかどうか白梅を……」
別れを惜しみ泣く老夫婦に道真は、何度も安堵するように言った。
荷台に横たわる白梅は、道真には心なしか寂しそうに思える。
「案ずることはない。
老人方にはお前が去って寂しくないよう、過分の礼を致す故。
お前を幸せにすると老人方に約束をしよう。
だから私を信じて都の私の元へと来て欲しい」
道真の言葉に、横たわる白梅の一輪の花の中から、ほろりと滴がこぼれ出た。
「何とこの白梅、涙を流したぞ」
台車を囲む者たちが、驚き声を上げる。
その言葉に道真が、滴をこぼした花の元へと歩み寄った。
まだ濡れている花びらの滴を、道真は優しく静かに指先で拭ってやった。
「梅の木が泣くなどあるはずもない……
しかし、お前は優しい故、老人方との別れを惜しんでおるのだろう。
そうよ、来年の今頃、京の都で咲き誇るその姿を、老人方を我が邸へ招き
見せてやろうぞ。だから頼む。泣かずに堪えてはくれないか」
白梅と共に道真は京の都の我が家へ向かった。


道真は片時も台車の白梅から離れることはなかった。
乾きそうになった根に水を与え、幹樹に強い日差しが当たらぬようにと布を
掛け、風から枝を護りながら僅かにでも傷が付かないかと、心休まることなく
白梅を案じ続け寄り添った。
そして幾日か後、白梅一行は無事に道真の居宅へと着いた。
道真邸の庭は宴を行う程の広さがあり、そこには既に道真が見染め植えた桜と松が
あった。
樹齢100年を超す桜の大樹は、春になるとその下に多くの者を集め感嘆させた。
見事に咲き誇り、潔く風に花散らすその様を道真は国一番の桜と褒め称え愛でた。
松は帝から贈られたものであり、これもまた都の中でも一二を争う程の見事な
樹木だった。帝から下賜されたこの松もまた、道真は愛でた。
帝の威光を纏ったかのように、松は誇り高く緑の針葉を輝かせ桜と共に道真の庭を
飾った。しかし、庭には不自然なほどの空間が広がっていた。
そこには道真が最も愛して止まない梅の木を植えることを決めてあり、納得できる
梅と出会うまで何年もの間、何物をもそこに植えられることはなかった。
そして、道真は運命の白梅と出会った。

 

樹木には人の目には見えない『樹木の精』が宿っていた。
桜には美しくも気の強い、男気溢れる『桜の精』が。
松には気位の高い、帝の威光を自慢する『松の精』が。
そして、道真が巡り合った白梅には、美しく穢れを知らず、ただ道真に思いを寄せる
『白梅の精』が。


道真と出会い優しく語り掛けられ触れられた時、白梅は道真相手に恋に落ちた。
これまで自分を愛でてくれた老夫婦との別れに動揺しながらも、道真の自分への
思いに己の運命すべてを委ねようと決めた。
不覚にも涙をこぼした時、道真は自分の涙を優しく拭ってくれた。
白梅は命尽きるまで、道真に全てを捧げようと密かに誓った。
庭に植えられた白梅は、その香りの良さから道真直々に『薫』と名を頂くこととなった。
そんな白梅に心奪われる道真を陰で笑う者もいたが、道真はそれを少しも気に掛ける
ことなどなく、薫を愛で続けた。
桜は自分と梅、松は違うものであり、桜の中では自分は常に道真にとっては一番で
あることに満足していたが、帝から下賜されたことを誇りとしていた松は、
新参の白梅に『薫』と名が付けられた事に甚く不満が募っていた。


「帝のご威光に与る松が、嫉妬とは無様だな」
気の強い桜が、薫に辛く当たる松を一喝する。
「し、嫉妬!?恐れ多くも帝から下賜されたこの私が、田舎の白梅如きに嫉妬する
はずなど!」
「お前は道真様を困らせたいのか?」
「そんなことはことは断じて……」
「だったらお前も黙って薫を見守ってやれ。
この庭で仲良く我らが美しさを競い合うこと。それが道真様を喜ばせることだ」
松は微かに葉を揺らしながらも黙った。
「お前もいちいち松の言うことなど気にするな。
私たち『精』の存在は、決して人には知られてはならぬ掟をお前も心得ているだろう。
道真様の言葉に一喜一憂する気持ちは分かるが、我らの存在を知られたその時は、
掟に従いそこで命は途絶える。分かってるよな、薫?」
「はい……」
か細い声で返事をした薫の表情が一気に曇る。
道真と離れ離れになってしまうことを例えとして思うだけで、立ってはいられぬ程の
恐怖に苛まれる。
道真は人であり、自分は人には見えぬか弱き白梅の精。
道真がどれだけ自分を愛してくれようが、その思いに応え互いの想いが交わることは
この世が尽きてもないことを、薫は今更ながらに身に凍みた。


2017,4,8