先週末、毒母について専門医とその病院のケースワーカーとの三者面談が行われた。

事前にケースワーカーと面談し

「最近のことでいいです、お母さんのおかしいと思われた言動を箇条書きで書いて持参してください。考えながら話すと後であれを言い忘れた、これを言えばよかったとなるし、それを医師に診せれば話し合いの時間を少しでも長くできますよ」

と、言われていたので、毒母の目を盗んでは書かずに(見られたらout!)PCに入れて行く前日夜にプリントアウト。

1枚程度のつもりが気付けば6枚にもなっていて、思わず苦笑した。

でも、どれも私的には外せない内容であり、何度か読み直し決定した。

 

で、病院に行き三者面談開始。

医師は既に私が渡していた紙を丹念に読み始めていて、しばし沈黙の中、医師が読み終えるのを待った。最後の紙を捲り、これ以上紙がないことを確認した医師は大きくため息を吐いた。

「認知症と聞くと“物忘れ”とか“道に迷う”なんてことをイメージをしますよね。

でも、認知症もに様々な種類があって……前頭側頭型認知症って聞いたことはありますか?」

初めて聞く言葉に頭の中で漢字をあれこれ当てはめる。

医師は目の前の紙に『前頭側頭型認知症』と書いてくれた。

「ご本人を診ていないので確定とはいきませんが、諸症状からこれがかなり濃厚だと思われ

ますね、お母さんの場合は」

あぁ、やはり認知症だったのかと、私もため息が出た。

しかし、医師の表情は寧ろ硬くなった。

「ここに書かれたことを読みましたが、これね、これらの出来事。

この数年で起きたことですか?」

「いえ、それは……」

私が物心ついたころから家庭は何時でも血まみれで揉めていて、毒母が常に近隣とトラブルを起こして気が休まる間もなかったし。

私は記憶をたどりながら「こんなことがありました」「あんなことで騒ぎを起こしました」など具体的な過去の出来事を話した。

医師は少し身を乗り出し言った。

「前頭側頭型認知症もですが、お母さんの場合、これね。

もう、持って生まれたモンスターだったの。他人と協調できない、自分の我を通すためには人を脅かし暴力も平気って」

この言葉あたりから、私はもう言葉が差し挟めなくなっていた。

「この人は人間じゃないの。人間のなりをしているけれど、中身は人として道理や話が通じる相手じゃないってまずは実の娘であるあなたが自覚してください。

でなければ、これからご主人や娘さんを護れませんから。

と、言うか現状はもう、あなたかご主人か娘さんか、その母さんのどなたがキレて刃物で刺し殺すなんて惨劇が起きても不思議のない状況なんです。

でね、これは単なる認知症ではなく、他人に攻撃性のあるやっかいなものなので、どこの施設も病院も受けてはくれません。探すのは精神科、最終的には精神科の閉鎖病棟。で、なければ犠牲者がでます。いや、もうすでに娘さんが精神を病んでいる訳でしょう」

 

 

この毒母とずっと一緒にいて、自分の感覚がマヒしていたのだと指摘され、自分の中で次第に目覚めていくのがわかった。亭主も娘もこの同居の約3年で異常な生活空間で意味不明のことで罵倒されることを我慢するのが慣れてしまい、普通の感覚がマヒしていたとこの場でやっと私は理解できた。

 

「お母さんに薬を出して飲ませて、入院したら治るなんてことはないと思ってください。

生まれついての異常なんですから」

この後、医師は私や家族を労ってくれた。半ば呆れていたのかもしれないが。

もう、無理だから、犠牲者が出る前にお母さんを何とか精神科に連れて行く算段をしないとと言われ、私の涙腺はドバドバと崩壊した。

今まで言われたことを思い出しても、許せないことだらけ。

今もあれこれわからないことを仕掛けてくるし。

でも、認知症なんて通過点みたいなもので、生まれついての狂人だったと専門医に指摘され、やっと私が頑張ってもどうにもならないと諦めもついた。

でも、モンスターでも自分の親な訳であり、狂人(とは医師は言ってないが、それと同等の表現があった。その言葉を使わないと家族がふん切れないことも、この医師は知っている)と認めなければならない所にいきなり立たされた自分は途方に暮れた。

自分の親が狂っていることを改めて認めることは……つらい。

加齢のよる認知症進行と生まれつきの異常って私の中では全く違うものであるし。

 

で、行政に介入してもらい精神科受診にこぎつけるために、その日から少しづつ毒母にばれないように、事は動き始めた。

ただ、認知症専門を専門にしていない医師でなければ、事は動かせないともはっきりと言われた。家の場合、娘が数々の暴言を吐かれて児相にも相談したり、学校に相談の実績もあるし、私自身も毒母の暴言や異常行動で体調を崩し昨年の医療費は自分だけでもン十万超えで、どのカルテを見ても「ストレスにより……」となっているから、証明もしやすい。

 

今週末、何とか脳外でのMRI検査にこぎつける。

しかし、脳外の医師がうまく動いてくれるのかが、全くの手探り状態。

ここでコケれば毒母は二度とこの手の病院へは行かないだろうから。

被害者も加害者も出ないうちに、閉鎖病棟に入れられるのだろうか。どこも満床だし。

 

 

最後にこの医師に言われた。

「この手のものってかなりの確率で遺伝するんですよ。

でも、あなたは大丈夫でしたね。

もしもあなたに遺伝していたら、あなたはストレスで悩むことなく、お母さんと取っ組み合いの騒ぎを起こしていたはずだから」

 

 

足の力が入らぬまま……気付けば自殺名所みたいなった某駅にいた。

亭主も娘もまだ連絡はつかない。こんな困った時のチワワ奥!

駅のベンチで私はチワワ奥にラインを送った。

私の居場所を伝えたが、勘違いされたら困るからあわてて「死なないし」と追加送信した。

西日を浴びながらラインを送る私の手元に毛がバラバラと落ちて来る。

もうすぐ春だというのに、私の頭髪は冬を前に葉を落とす木々の様だ。

今だから書くけれど、あの時、チワワ奥がラインで相手をしてくれなければ、あの場はやはりまずかったかもと思った。

 

狂人相手に50有余年。就職して離れても、結婚して別居できたと喜んでいても、この人はあらゆる手段を講じて私に関わって来た。

今更だけど、これから本当にこの人と離れられるのだろうかとまだ疑心暗鬼な自分がいる。

この人が鉄格子の向こうに行けば、私たち家族は本当に毒母との同居以前のように、家族で心から笑える日が来るのだろうか。

 

蛇足

この話、実は亡くなった毒父にもドンピシャリだった。

ってことは、私は両親共に狂人だったのかチーンチーンチーン

 

困っている人、まずは自分の居住する地域の

地域包括支援センター

を調べて、相談してみてください。

私もどうなるかはわからないけれど、窓口さえわからない人、本人がどうしても病院に行かないと言い張る老人の対応を相談できます。

ある種の強制的な医学的対応も、行政が介入していれば問題なく進めることが可能です。

少し前まで3年分ためた病院の領収書と闘っていたけれど、この束(亭主の会社から源泉徴収3年分がまだ来ないから、税務署へ行けず手元にあった)がまさか、自分や家族がストレスでこれだけ病院のやっかいになっていることの証明になるとは、考えてもいませんでした。客観的な緊急度の証明にもなるし。

 

 

私がこれまで別居せずに躊躇っていたのは、家族で転居しても一人暮らしのできない毒母の件で役所などから「あなたは一人娘でお母さんを世話する義務があるんですよ」って引き戻されることが目に見えていたから。

でも、今回のことが行政も挟まり動いてくれれば、それもなく別居できそうなので少しは安心しました。

 


事が解決するまでどれぐらい毛が残ってくれるのだろうか。