『海蛍』は特別な趣向を持った方に向けられた不定期連載小説です。

お付き合いの「いいね」は必要ありません。

次回、普通のブログupの時に、またお付き合いください。

 

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「何があろうとも、日向大佐がいてくれたから耐えられました。
けれども、そんな思いを持つ大佐だからこそ、面白おかしく穢された自分の姿など
絶対に見せたくはありませんでした。
ただただ悔しくて恥ずかしくて、私は大佐の拳銃を奪い自決しようと残っていた
気力体力を使い、大佐に飛びかかりました」


時折、誰かの息をのむ音がはっきりと聴こえる。
学生の誰もが何も言わない。
ただ、薫の話に耳も心も傾ける。
薫は記憶の糸をゆっくりと確実に手繰りながら、話を続けた。


その後、日向に出撃命令が出て、薫を貶めた男たち全てを引き連れ死出の旅に。
そう遠くはない未来に終戦を感じた日向が薫を残すよう、働きかけたこと。
それらを自らの胸に秘め、薫と共に最初で最後の温泉旅行へ行ったこと。


「大佐の名誉のために言わせてください。
あの方とは本当に何もありませんでした。
愛なんて言葉、知識では知っていても、どんな時に使っていいのか、自分なんかが
使っていいものなのか私には分かりませんでしたし。
でも、大佐の背中で聴いた『月が綺麗だな』の言葉に、私は生まれて初めて愛を
感じることができました」


そして、日向が自分を残し出撃。
それを知った自分も、日向の後を追い乗艦したこと。


「私ひとり生き残ってももう、この世界には意味はなかったんです。
あの人のいない世界で生き残るよりも、あの人と共に死ぬ行くことが自分の幸せでした」


惨劇直前、特攻隊を甲板で見送ったこと。
そこには後に自分を支えてくれたミツの孫がいたこと。
そして、穏やかだった航行は、待ち構えていた米軍の攻撃によって一転し、艦は爆撃を受け
死体の山になったこと。
無力な自分は衛生兵として、誰一人として助けることができなかったこと。
仲間の屍を踏みしめながら走った先に、艦と共に沈もうとしていた日向と再会できたこと。


「血と火薬の匂いの中、私はついに自分の思いを押さえることができなくなり、大佐の
胸に飛び込みました。大佐は大きな身体で私を抱きしめてくださいました。
死を目前に私は初めて知りました。
愛する人の胸の中とは、こんなにも温かく心地よいのだと。
生存者は私と大佐のふたり。艦は魚雷を受け傾き始めている。
大佐は艦に自らの身体を縛り、多くの散った命と共に深く沈もうとしていました。
『艦長には“艦と運命を共にする権利”が与えられている』と大佐は言いましたが、
私は卑怯者と謗りを受けても生き残って欲しいと言いました。
思えば自分の思いをあんなにも強く主張したのは、あの時が初めてでした」


戦争体験者の話をここまで詳しく聞いたことなど、真一を含めここの誰もがなかった。
教科書での年号と符合させ一括りに『第二次世界大戦』と記載された、申し訳程度に
載せられた資料写真を見たことはあったが、その奥にどれだけの者達が無念のままに
死んでいったのかを、学生たちは薫の話を聞きながら初めて思い考えた。


「大佐はご自分と艦を繋ごうとしていたロープで、ご自身と私の手を解けることの
ないようしっかりと結んでくださいました。
軍人としての誇りよりも、私と共に砂漠の中の一粒の砂ほどの確立で生き残ることを
選んでくださったんです。私は大佐の胸に抱かれたまま、海へ逃れました。
沈む艦を米軍は見届けていました。
そして僅かな生存の可能性も絶対に認めないのだと、廃品と共に漂う私たち目掛け
容赦のない機銃掃射が……
私は負傷で済みましたが、大佐は私を庇い腹部に致命傷を負っていました。
目覚めた時、綺麗だと思っていた太平洋の紅の凪は、夕日ではなく大佐の血で
染まっていたんです」


「もうすぐ死ぬのだと思いました。
でも、私は不思議と恐怖も絶望もありませんでした。
初めて愛した人と運命を共にできるんです。
初めて自分が望んだことを選択できたんですから。
海蛍の光の中で私たちは、永遠を誓いました。
しかし、大佐はそんな状況下でも生きることを、いえ、私を生かし医師に
することを諦めてはいなかった。
私を娶ると誓いながら私の頸動脈を押さえ意識を失わせ、そして、そして……」


その後、日向は一縷の望みをかけ、自らの腕を切り裂きひとり南洋深く沈んでいったこと、
それが行われたのが終戦前日であったことを薫は悔しそうに、何度も言葉を詰まらせ
ながら話した。
そして。アランとの出会い。
アメリカへ渡りアランの手助けをしながらオレゴンで暮らしたこと。
敗戦国の兵隊である自分は町の民に受け入れて貰えず、背を焼かれる仕打ちを受けたこと。
しかし、いつしか町の者達に受け入れられ、ここで骨を埋めようと覚悟を決めたが、
日向が出撃直前に薫を養子縁組していたことを知らされたこと。
当時の日本では海軍戦死者遺族には、格別の計らいとして能力のある者は医科大学へ
進めるように国の庇護があり、日向はそれを知っていて自分と養子縁組をし、最後の
最後まで薫を生かすことに拘っていたのだということ。


「私は知らないうちに日向薫になっていたんです。
もしも、海上でそれを知っていたら、私は大佐に向かって叫んだと思います。
『なにもいらない、あなたと一緒にいたい。ただ、それだけなんです』と。
アランや町の人たちは日向薫となった私を送り出してくれました。
大佐の意志を無碍にするなと、日本で立派な医者になれと。
私は日本に戻り、この大学へ入学を果たしました」


ミツ、田中、成瀬、伊達、泰子、誠、正子、クロエ……
薫のこれまでの人生を支えた名前が次々と出て来る。
そして、誠を庇うために整形外科医として大切な四指を切断するに至ったこと。


「元々、ここまで長らえるはずの命ではなかったんです。
大佐がご自分の手を切り刻んでくださったお陰で生き延びた命。
これを繋ぐ時が今来たのだと。
正直、その時は迷いはありませんでした」


薫はそう言うと指のない手を胸元に寄せる。
そこにいた皆は自問自答していた。
『もしも医師を志す自分の指と誰かの命、どちらかを選択しなければならないとしたら
自分ならば、どうするのだろうか』
想像しながら指先がキュと引きつるような痛みを覚えた。

 

「先生、せっかく作った病院も、医師としての夢も無くなって……」
薫のひとり語りの中、初めて薫以外の者が言葉を発した。
それは、いつも控えめに誰かの言葉を後ろで頷きながら聞いている水沢恵だった。
「いえ、病院は今も存続しています。
先程出て来た破傷風の男の子、いたでしょう?
誠君ですが彼が今、私の思いを時代に合わせた形にしながら継続してくれている
んです。彼の手腕で今は一醫院ではなくなりましたけど」
「えっ、それってもしかして橋本先生の病院って、今の橋本総合病院じゃ……」
山城の声が思わずひっくり返った。
「えぇ。私のことを気遣って名誉院長のままにしてくれています。
いつでも自分の病院に、何の気兼ねもなく戻れるようにと誠君の計らいで」
今の橋本総合病院はヘリポート完備の救急救命を軸に、あらゆる状況での対応が
できるようにとなっている。
提携先のアメリカのクロエの病院へは毎年、希望者を募り数人を研修として
送り出してもいた。大学を卒業後、研究医として大学に残る者にとってこの大学は
最善の場所ではあったが、臨床医を目指す者たちの中で最も人気があるのは、医療に
関しては患者を第一に考え、上下関係を無くし自由闊達に議論でき、熱意が認められれば
病院負担でのアメリカの大病院での研修への道も開かれている橋本総合病院である。
その名は学生の中でも頻繁に出て来ていた。
おじいちゃん先生と蔑み嘲笑していた薫が実は、その憧れの大病院の創始者であり、
今も最高責任者として名を連ねていた事実に、学生たちは騒然となった。

 

「話を本題に戻しましょう。
三上君が言った『他人に自分の夢や希望を捻じ曲げられた口惜しはないのか?
その護ったという人を先生は微塵も恨んではいないのか?』ですが、指を失ったことで
私が医学から身を引こうと決心したのは事実でした。
その時はもう、私には何の光も見いだすことができなくなっていましたから……
でも、私の夢を知り姉は身を売ってお金を用意してくれました。
日向大佐は養子縁組までしてくれ、私に日向姓を託し自らの腕を切り刻み、この
命を今日へと繋いでくださいました。
辛いこと……ありました、あまりにありすぎました。
けれどももしも、この辛さのどれか一つでも欠けていたら日向大佐に逢えなかった
のであれば、私はこの苦難の道を歩めたことに感謝と誇りを持ちたい。
あの人が長らえてくれたこの命の温もりの中で、私は誰をも恨んだり呪ったりは
したくはない。あの人がご自分の命と引き換えてくださったものがあまりに尊いもの
だったから。あの人の与えてくれたものを穢してはならないのです。
確かに夢だった医師になれました。
自分の病院も持てて、掲げた理想に賛同する多くの人たちと共に病院の規模は
大きくなりました。指を失ってもなお、こうして大学で医師の肩書の元、君たちに
医学を教えることも出来ている。きっと私は恵まれた人生なのだろうと思うんです。
でも、でも……私は人の羨むようなものは何もいらなかった。
もしも願いが叶うのならば、今持っている全てを投げ出しても悔いはない。
逢いたい。日向大佐にもう一度、お逢いしたい。
刻んだあの手を手当てして差し上げたい。
あの人がいれば私は……何もいらない」


薫の慟哭に真一は胸を抉られる思いがした。
いつも飄々とした温かみのある薫の中には、実はこんなにも叶わぬ思いがあったことに。


「……でも、あの人は享年という年齢をいただき永遠に38歳の若さのまま。
それに対してこの私はあまりにも歳を取り過ぎてしまいました。
死んであの人に再会できたとしても、年老いた私の横を……
あの人はきっと私だと気付くことなく、通り過ぎてしまうでしょう」

 

苦しく切ない過去を語っても泣かなかった薫が、未来を語った時に初めてその頬に
大粒の涙をこぼした。
学生の中から鼻をすする音が聞こえてくる。
両手で顔を覆う者、手の甲で何度も涙を拭う者、真一は両手を組み自分の指先をただ
見つめる。


ポケットからハンカチを取り出し、薫は涙を拭う。
涙の消えた顔は、今まで真一でさえ見たことのない威厳のある表情だった。


「ここに来ればあなた方は『教わること』ができます。
一流と言われた教授たちや資料、機材があり、それをフルに使って教わることが
できます。そうして、多くのあなた方の先輩がここから巣立って行きました。
しかし、私があなた方に求めるものは『教わること』ではなく『学ぶこと』です。
人に言われたから勉強するのではなく、能動的に疑問や解決のつかない事象に
怯むことなく立ち向かい、納得できるまで追求して欲しいのです。
私には教えることはできます。
けれども、学ぶことはあなた方の意志に託されてるのです。
努力し、狭き門から入って来たあなた方はここで安堵し歩みを止めることなく、
医師と言う重責を背負いながら更に狭き門を目指して欲しいのです。
私は自分が医師として、人間として学びを終えた時、堂々と日向姓を名乗れたらと
思っています……
もっとも、今の私にはまだまだ日向の姓を名乗る資格はありませんが。
どうも年寄りの話は長くなっていけませんね。
私なりにあなた方の質問に答えたつもりですが、納得がいかないのであれば出来うる
限り、その疑問には答えます。
ただ、私のような者から教わるべきことはないというのでしたら、私は責任を持って
後任を探し、あなた方のこれからを託します。
今日は金曜日。月曜までに答えを出してください。
三上君、週明けまで仕事はお休みです。
君も自分に素直になって答えを出してください。
君が仕事の心配をしなくてもいいように、学内の者に声掛けして収入の道は
途絶えないようにしますから。
では、今日はこれまでにしたいと思います。
年寄りの昔ばなしの相手になってくれて、本当にありがとう」


薫は学生たちに深く一礼をすると、道具を手にひとり教室を出た。


2017,2,27